古代の歴史

ド・グラース提督とはどんな人物?アメリカ独立戦争を制したフランス海軍の名将

フランソワ・ジョゼフ・ポール、ド・グラース侯爵(François Joseph Paul, marquis de Grasse、1722年9月13日 - 1788年1月11日)は、18世紀フランスを代表する海軍提督です。特にアメリカ独立戦争におけるチェサピーク湾の海戦での勝利は、アメリカ合衆国の独立を決定づける大きな転機となりました。

出自と海軍入隊

ド・グラースは、南仏プロヴァンス地方の貴族の家系に生まれました。生地はル・バール=シュル=ループ(Le Bar-sur-Loup)です。若くしてフランス海軍に入り、オーストリア継承戦争(1740年 - 1748年)で目覚ましい活躍を見せます。

1755年には大佐に昇進し、フリゲート艦「オリフラム号」の指揮を任されました。続く七年戦争(1756年 - 1763年)では、74門艦「スーヴレン号」をはじめとする複数の艦船の指揮官として戦い、経験を積み重ねていきました。

サン=ドマング総督として

七年戦争終結後の1764年から1766年にかけて、ド・グラースはカリブ海のフランス領サン=ドマング(現在のハイチ)の総督を務めました。この期間、彼は有能な行政手腕を発揮する一方で、厳格な規律を重んじる統治者としての一面も示しています。1778年には少将に昇進しました。

アメリカ独立戦争と決定的な勝利

アメリカ独立戦争が勃発すると、ド・グラースはアメリカ側を支援するフランス海軍の中核的存在となります。1781年にはカリブ海に展開するフランス艦隊の指揮官に任命され、ジョージ・ワシントンおよびロシャンボー伯爵と連携して、バージニアに布陣するイギリス軍への共同攻撃を計画するよう命じられました。

1781年8月、ド・グラース艦隊はバージニア沖に到着し、チェサピーク湾にてトーマス・グレイヴズ提督率いるイギリス艦隊を封鎖しました。この封鎖により、ヨークタウンで包囲されていたコーンウォリス卿の軍への増援や補給が遮断されます。

そして1781年9月5日、チェサピーク湾の海戦が勃発。ド・グラースはグレイヴズ艦隊を撃破し、湾の制海権をフランス・アメリカ連合軍の手に確保しました。この結果、退路を断たれたコーンウォリス軍は同年10月19日に降伏。ヨークタウンの陥落は事実上、アメリカ独立戦争の帰趨を決める出来事となったのです。

晩年と死

チェサピーク湾の海戦後、ド・グラースはカリブ海へ戻り、イギリスの船舶への攻撃を継続しました。しかし1782年4月、セインツ諸島沖の海戦でロドニー提督率いるイギリス艦隊に敗北し、一時的に捕虜となっています。釈放後に帰国した彼は中将に昇進し、1784年に退役するまでフランス海軍に仕えました。

1788年1月11日、ド・グラースはパリで死去しました。アメリカの独立という歴史的大転換を実現させた功績により、彼は今日でもフランス史上最も傑出した海軍指揮官の一人として高く評価されています。