「ヘンリー7世のバラ戦争」という特定の戦いは、歴史上存在しません。おそらく想定されているのは、1485年8月22日にイングランドで行われたボズワースの戦い(Battle of Bosworth Field)でしょう。この戦いでヘンリー・テューダー(後のヘンリー7世)はリチャード3世を破り、イングランド王位を獲得しました。本記事では、その決戦における両軍の兵力を中心に詳しく解説します。
バラ戦争とヘンリー7世の関係
バラ戦争(薔薇戦争)は、1455年から1487年頃にかけて続いた、プランタジネット朝の分家であるランカスター家(紅薔薇)とヨーク家(白薔薇)がイングランド王位をめぐって争った内戦です。ヘンリー・テューダーはランカスター派の最後の希望として台頭し、この長い戦乱に事実上の終止符を打ちました。したがって「ヘンリー7世のバラ戦争」という表現は厳密には不正確で、正しくは「バラ戦争の最終局面におけるヘンリー7世」と捉えるのが適切です。
ボズワースの戦いにおける兵力数
1485年8月、ヘンリー・テューダーはフランスから約2,000人の傭兵を率いてウェールズに上陸し、進軍の途上でウェールズ人やイングランドの支持者を次々と味方につけました。決戦当日の兵力は、おおよそ以下の通りと考えられています。
- ヘンリー・テューダー軍:約5,000人(フランス傭兵、ウェールズ兵、亡命イングランド貴族の部隊など)
- リチャード3世軍:約8,000〜10,000人(数的には王軍が優勢)
- スタンリー兄弟の軍:約4,000〜6,000人(当初中立を装い、決定的な瞬間にヘンリー側へ加担)
戦いの経過と結果
開戦当初、ヘンリー軍は兵力で大きく劣勢でした。しかし、ウィリアム・スタンリー率いる約3,000人の部隊がヘンリー側に寝返ったことで形勢は一変します。リチャード3世は勝利を確定させるべくヘンリー本人を狙って突撃しましたが、討ち取られてしまいました。こうして30年に及ぶ王位継承戦争は終結し、ヘンリーはヘンリー7世として即位、テューダー朝が幕を開けたのです。
まとめ
「バラ戦争でヘンリー7世は何人の兵を率いたのか」という問いへの答えは、決定的となったボズワースの戦いで約5,000人というのが一般的です。ただし、上陸時点では約2,000人にとどまり、スタンリー軍の支援を含めれば実質1万人規模の勢力が関与した計算になります。なお、中世の兵力数は史料によって幅があるため、これらの数字はあくまで推定値である点に留意してください。