アレクサンダー大王の死と帝国の行方
紀元前323年、マケドニア王アレクサンダー大王が32歳という若さで急逝すると、彼が築き上げた東はインダス川から西はエジプトに及ぶ広大な帝国には、明確な後継者がいませんでした。大王には嫡子がおらず、遺言として「最も強力な者に王国を渡せ」という言葉だけが残されたと言われています。
この状況を受け、大王の側近であった将軍たち(後継将軍、ギリシャ語で「ディアドコイ」と呼ばれる)は、帝国の覇権をめぐって長年にわたる抗争を繰り広げました。この一連の戦争は「ディアドコイ戦争」として知られています。
帝国を分割した4人の主要な後継者
激しい争いを経て、帝国は最終的に主な将軍たちによって分割され、それぞれが独立した王朝を打ち立てました。代表的な後継者は以下の4人です。
カッサンドロス(カッサンデル)
マケドニア本土とギリシャを支配しました。アレクサンダーの母オリュンピアスや王妃ロクサネ、息子アレクサンドロス4世を排除し、アンティパトロス朝を開いたとされます。
リュシマコス
トラキアと小アジア(現在のトルコ西部)を勢力圏としました。後に小アジアでの領土拡大を図りますが、紀元前281年のクルペディオンの戦いでセレウコスに敗れて命を落としました。
セレウコス1世ニカトル
メソポタミア、シリア、ペルシアを含む広大な領域を支配するセレウコス朝を建国しました。この王朝はヘレニズム世界最大の国家となり、約250年間存続しました。
プトレマイオス1世ソテル
エジプトとキュレナイカ(リビア東部)にプトレマイオス朝を樹立しました。都アレクサンドリアを拠点に、有名なアレクサンドリア図書館を整備したことでも知られます。王朝はクレオパトラ7世まで続きました。
その後のヘレニズム世界
これら4人の将軍はやがて完全に独立した君主となり、それぞれの王朝を築き上げました。こうして誕生した諸国は「ヘレニズム国家」と呼ばれ、ギリシャ文化が東方世界へ広まる大きな原動力となりました。
また、ギリシャ本土では、アテナイやスパルタなどのポリス(都市国家)の中にも、大王の死を機に独立を回復したものがありました。しかし、それらの都市国家も次第にマケドニアの勢力圏へ組み込まれていくことになります。