スペインによるフィリピン統治の初期(16世紀後半以降)、征服者や王室に功績のあった者には「エンコミエンダ」と呼ばれる特権が与えられました。これは特定地域の先住民から貢税を徴収する権利であり、見返りとして先住民の保護とキリスト教化の義務を負うという建前のものでした。しかし実際には、過酷な強制労働や重い税負担、乱暴な取り立てが横行し、先住民の生活を圧迫する搾取の仕組みとなっていきました。
ドミニコ会修道士による初期の批判
エンコミエンダ制への道徳的・法的な疑問を最初に提起したのは、他ならぬ修道会の修道士たちでした。1511年、イスパニョーラ島でドミニコ会のアントニオ・デ・モンテシノス修道士は「先住民は人間ではないのか」という有名な説教を行い、無慈悲な扱いを痛烈に非難しました。また、バルトロメ・デ・ラス・カサスもドミニコ会士としてエンコミエンダ制の廃止のために生涯を捧げ、スペイン王室や教会当局へ訴え続けました。
フィリピンにおいても、修道士たちはエンコメンデロ(特権保持者)による虐待を書簡や報告書でスペイン当局に伝え、先住民の権利擁護を訴えることがありました。強制労働や過剰な課税の実態を記録し、説教や神学書を通じて制度の不正義を広く世間に知らせる役割を果たしたのです。
リサールの時代へ ― 制度の変質と新たな対立軸
ただし留意すべき点があります。エンコミエンダ制そのものは18世紀までにほぼ姿を消しており、国民的英雄ホセ・リサール(1861〜1896)が活躍した19世紀後半のフィリピンで最大の争点となっていたのは、むしろ修道会(フライレス)が所有する大土地所有制、いわゆる「修道士領」の問題でした。
皮肉なことに、リサールの故郷であるラグナ州カルンバの大農園は、まさにドミニコ会が所有していました。小作料の値上げや土地登記をめぐる紛争はリサール家を直撃し、この経験が『ノリ・メ・タンヘレ』などの一連の著作における修道会批判の背景となりました。つまりリサールの時代において、ドミニコ会は先住民の擁護者というより、改革派知識人から批判を受ける側に立っていたのです。
複雑な歴史的評価
一方で、修道士たちの存在はフィリピン植民地史の理解に不可欠です。彼らが残した記録や報告書は、当時の労働制度や先住民が置かれた状況を知る上で貴重な一次史料となっています。また、個々の聖職者の中には、フィリピン人の待遇改善や教育振興に理解を示した者もいました。ダピタン流刑中のリサールと親しく学問的に交流したイエズス会のタビエル・デ・アンドラーデ神父のように、スペイン人聖職者とフィリピン人知識人の間に対話の道が完全に閉ざされていたわけではありません。
まとめ
エンコミエンダ制への批判において、ドミニコ会修道士は初期植民地時代の重要な証言者・先住民の擁護者でした。しかしリサールの時代には制度的枠組みが変化し、修道会自身が土地問題をめぐる批判の的となっていました。この二面性こそ、フィリピンにおける植民地支配と改革運動、そして独立運動への歩みを理解する鍵と言えるでしょう。