はい、アステカ族とマヤ族はどちらも、ゴム製のボールを使った球技を行っていました。この球技は「メソアメリカの球戯(メソアメリカン・ボールゲーム)」と呼ばれ、古代メソアメリカ全域で広く親しまれていた文化でした。
メソアメリカの球戯とは?
この球技は、アステカの言葉であるナワトル語では「ウラマリストリ(ollamaliztli)」と呼ばれていました。約3,500年前にはすでにプレイされていたとされ、単なる娯楽にとどまらず、宗教的儀式や政治的な意味も持っていた重要な行事だったと考えられています。
ボールの素材と名前
試合に使われたボールは、天然ゴムを固めて作られたものでした。ゴムは現地の言語で次のように呼ばれています。
- ナワトル語(アステカ):「ウリ(ulli)」
- マヤ語:「クジュ(k'uj)」
実は、天然ゴムを利用してボールを作っていたのは、世界でもメソアメリカ文明が最初だと言われています。ヨーロッパにゴムが伝わったのは19世紀になってからであり、その点でもこの球技は非常に先進的なものでした。
ボールの重さとプレイスタイル
使用されたゴムボールはかなり重く、直径20〜30センチほどで、重量が数キログラムに及ぶものもありました。選手たちは手や足ではなく、主に腰やお尻、肘など体の一部でボールを打ち合い、相手側のコートに送り返していました。また、壁に設けられた石の輪にボールを通せば得点となる、非常に難易度の高いルールも存在しました。
球技場と社会的な役割
この球技専用のコートは「球戯場」と呼ばれ、マヤの都市チチェン・イツァやコパンなど、多くの遺跡からその跡が発見されています。試合は神々への捧げ物としての性格を持つこともあり、勝敗が豊作や戦争の結果に関わると信じられていた地域もありました。アステカ時代には、賭けの対象になったり、貴族の娯楽として行われたりするなど、社会生活の中で大きな役割を果たしていたのです。