アメリカ合衆国におけるレコンストラクション(南部再建)時代は、1870年代後半から1880年代前半にかけて幕を下ろしました。南北戦争後の南部社会の再建と、解放奴隷となったアフリカ系アメリカ人の権利保障を目指したこの時代は、複数の要因が絡み合うなかで終わりを迎えることとなりました。
1. 1877年の妥協(Compromise of 1877)
1876年の大統領選挙は、当選者の確定をめぐって激しい対立が生じた争議選挙でした。この紛糾を収拾するために結ばれた政治的妥協により、連邦軍が南部から撤退することになります。これが事実上、レコンストラクションの終焉を意味しました。
2. 経済的利害の優先
北部の実業家や投資家たちは、次第に南部への経済開発や投資を優先するようになりました。その結果、政治的な同盟関係が再編成され、レコンストラクションが掲げてきた理念や目標から国家の方向性が離れていきました。
3. 白人至上主義による反動
レコンストラクション期にアフリカ系アメリカ人が獲得した権利や社会的地位に対し、一部の南部白人の間では抵抗感や反感が広がりました。この反動は、クー・クラックス・クラン(KKK)のような白人至上主義組織の台頭として顕在化し、人種隔離と差別を制度化する「ジム・クロウ法」の制定へとつながっていきました。
4. 政治的疲弊と世論の疲労
10年以上に及ぶ再建の過程で、北部と南部の双方が絶え間ない緊張や対立に疲弊していました。多くの人々が安定と「平時への回帰」を強く望むようになり、こうした世論がレコンストラクションの終結を後押しすることとなりました。
5. 連邦最高裁判所の判決
1883年の「公民権事件(Civil Rights Cases)」をはじめとする一連の最高裁判決は、公民権関連法の執行力を著しく弱め、アフリカ系アメリカ人の権利を保護する連邦政府の役割を大きく制限しました。
レコンストラクション終焉の歴史的意義
レコンストラクションの終結は、アメリカ史における重大な転換点となりました。南部におけるアフリカ系アメリカ人の人種的隔離と参政権剥奪が固定化され、その後数十年にわたるアメリカの人種関係のあり方を形作ることになったのです。