
ヴェルダンの戦い
1916年5月1日、ロベール・ジョルジュ・ニヴェルはフィリップ・ペタンの後任として、ヴェルダン戦線の新司令官に就任しました。この人事を決めたのはジョフル元帥です。ペタンが繰り返し増援の派遣を要請する姿勢に業を煮やしていたジョフルは、より積極的な指揮官を求めていました。
ニヴェルの用兵思想は明快でした。「より少ない兵力で、より多くの手段と、質の高い砲兵火力を」というものです。彼は防御的な消耗戦ではなく、火力を集中させた反撃によって戦局を打開しようとしたのです。
ドゥオモン要塞奪還への号令
着任早々、ニヴェルは副司令官ギヨマー将軍とともに強硬な作戦方針を掲げました。その任務を託されたのが、49歳の将校シャルル・マンガンです。彼に対し、ドイツ軍の手に落ちたドゥオモン要塞の奪還が命じられました。この要塞は、ドイツ軍による奇襲からわずか数日で陥落しており、フランス軍にとって国家の威信が懸かる象徴的な拠点となっていました。ニヴェル率いるフランス軍は同年10月、徹底した砲撃準備の末に同要塞の夺回に成功することになります。
伝書鳩がつないだ前線
激しい砲撃により電話線は次々と切断され、前線との連絡手段が失われていきました。そこで頼みの綱となったのが伝書鳩です。鳩たちは毒ガスの立ち込める空を飛び越え、飢えを満たすために鳩小屋へと戻ってきました。そして脚に結ばれたメッセージによって、次の防衛線へと前線の状況を伝えたのです。通信網が寸断される中、こうした原始的な伝達手段がヴェルダンの守備隊の生命線となりました。