8世紀から10世紀にかけて、イスラム世界には東西に輝く二つの大都市が存在しました。東の都がティグリス川沿いのバグダッド、西の都がイベリア半島(現在のスペイン)のコルドバです。それぞれ異なる王朝の首都として繁栄したこの二つの都市は、どのような姿だったのでしょうか。
バグダッド――800年代初頭(9世紀初め)の様子
バグダッドは762年、アッバース朝カリフのマンスールによって建設された計画都市です。「平和の都(マディーナト・アッサラーム)」とも呼ばれ、円形の城壁に囲まれた壮大な都市設計で知られていました。
- 建国から半世紀足らずで、当時の世界最大級の都市へと急成長しました。
- ハールーン・アッラシードやマアムーンの時代に、学問と文化の中心地として絶頂期を迎えます。
- 「知恵の館(バイト・アル=ヒクマ)」には各地から学者が集まり、ギリシャ語の哲学書や科学書の翻訳が盛んに行われました。
- ティグリス川とユーフラテス川を結ぶ要衝に位置し、中国・インド・地中海世界へと続く交易路の出発点として栄えました。
- アラブ人だけでなくペルシャ人、トルコ人、ユダヤ教徒、キリスト教徒など、多様な民族と宗教の人々が共存する国際都市でした。
コルドバ――900年代(10世紀)の様子
コルドバは、750年にアッバース朝によって滅ぼされたウマイヤ朝の生き残り、アブドゥル・ラフマーン1世が756年にイベリア半島に樹立した「後ウマイヤ朝」の首都です。
- 929年にはアブドゥル・ラフマーン3世が自らカリフを称し、コルドバを中心とする独立したカリフ制国家を打ち立てました。
- 10世紀のコルドバは人口数十万人と推定され、コンスタンティノープルと並ぶ、ヨーロッパ最大級の都市として繁栄しました。
- 壮麗な大モスク(メスキータ)をはじめ、宮殿・図書館・市場が立ち並び、「世界の宝石」と称される学問と芸術の中心地でした。
- 地中海交易の拠点として、絹、紙、香料、書物などが行き交う国際的な商業都市でもありました。
- ムスリム、ユダヤ教徒、キリスト教徒が共存し、多くの学者や詩人が育った多文化的な社会でした。
バグダッドとコルドバの共通点
- 学問と文化の中心地:どちらも著名な学者や芸術家を多数抱える「知の都」でした。
- 交易の要衝:広範な交易ネットワークの結節点として、世界各地と結ばれた商業都市でした。
- 多文化的な社会:異なる民族・宗教の人々が共存する国際色豊かな都市でした。
- 王朝の首都:政治の中枢として、巨大な宮殿と行政機構を擁していました。
両都市の相違点
- 建国した王朝:バグダッドはアッバース朝、コルドバは後ウマイヤ朝の首都でした。両王朝はライバル関係にありました。
- 地理的位置:バグダッドは現在のイラク、コルドバは現在のスペインに位置します。
- 繁栄の時期:バグダッドの全盛期は9世紀前半、コルドバの全盛期は10世紀と、ピークに時間差がありました。
- 都市の規模:全盛期同士を比べると、より大きなのはバグダッドだったとされます。
まとめ
800年代初頭のバグダッドも、900年代のコルドバも、それぞれの時代におけるイスラム文明の輝ける中心でした。東西に分かれた二つの都は競い合うように学問と文化を育み、その知的遺産は後のヨーロッパ・ルネサンスにも大きな影響を与えています。