誤報が引き起こした悲劇
マルクス・アントニウス(紀元前83年~同30年)が自殺を決意した最大の理由は、愛するクレオパトラ7世がすでに死んだと信じ込んでしまったことにあります。しかし実際にはクレオパトラは生きており、この致命的な誤解こそが、古代史に残る悲劇を生み出したのです。
内戦とアクティウムの海戦
当時、アントニーはオクタウィアヌス(後の初代ローマ皇帝アウグストゥス)との内戦の真っ只中にありました。権力闘争の末に対立した両者は、紀元前31年のアクティウムの海戦で激突。決定的な敗北を喫したアントニーは、クレオパトラとともにエジプトへ撤退し、首都アレクサンドリアで運命の時を待っていたのです。
虚偽の報せと剣による自害
エジプト滞在中、アントニーの耳に届いたのは「クレオパトラが自害した」という誤った報せでした。それを真実と信じ込んだ彼は、絶望のあまり自らの剣に身を投げ出しました。
後を追ったクレオパトラ
ところが、クレオパトラはまだ生きていました。アントニーの死を知った彼女もまた、勝者オクタウィアヌスの捕虜としてローマで屈辱に晒されることを拒み、後を追うように自ら命を絶ったといわれています。伝統的には毒蛇を使った自殺が有名ですが、毒物を服用したとする説など、その死因については今なお諸説存在します。
歴史に残る二人の最期
こうしてプトレマイオス朝エジプトは滅亡し、エジプトはローマの支配下に入りました。アントニーとクレオパトラの悲劇的な結末は、シェイクスピアの戯曲『アントニーとクレオパトラ』をはじめ、後世の文学や芸術に計り知れない影響を与え続けています。