三国協商とは
三国協商(さんごくきょうしょう、Triple Entente)は、20世紀初頭にイギリス・フランス・ロシア帝国の3か国の間で形成された、正式な軍事同盟ではない緩やかな協調関係のことです。当時、急速に国力を伸ばしヨーロッパでの影響力を強めていたドイツ帝国に対抗するため、これら3か国は次第に連携を深めていきました。
三国協商の形成過程
三国協商の起源は、1904年に結ばれた「英仏協商(Entente Cordiale)」にさかのぼります。この合意により、モロッコとエジプトをめぐる両国間の長年の対立が解消され、植民地政策における相互理解が進みました。
続いて1907年には、イギリスとロシア帝国の間で「英露協商」が調印されました。この協定では、アフガニスタン・ペルシャ(現在のイラン)・チベットにおける両国の利害対立が整理され、中央アジアをめぐる「グレートゲーム」と呼ばれる対立に一応の決着がつきました。
こうして英仏協商と英露協商、さらに既存の露仏同盟(1894年)を通じて、イギリス・フランス・ロシアの3か国による協調体制、すなわち三国協商が実質的に成立したのです。
三国協商と第一次世界大戦
三国協商は第一次世界大戦の勃発において重要な役割を果たしました。1914年、オーストリア=ハンガリー帝国がセルビアに宣戦布告すると、これを支援するためにロシアが動員命令を発令します。これに対してドイツはロシアおよびフランスに宣戦布告し、さらにドイツがベルギーへ侵攻したことを受け、イギリスもドイツに宣戦しました。
こうして三国協商側の国々は「連合国(協商国)」として戦い、戦争は4年間に及びました。最終的に1918年にはドイツとその同盟国が敗北し、大戦は幕を閉じます。
三国協商の歴史的意義
三国協商は、20世紀初頭のヨーロッパ史の流れを大きく左右した重要な外交構造でした。一方ではヨーロッパの勢力均衡を維持する機能を持っていたものの、他方でドイツ・オーストリアらの三国同盟との対立構造を固定化させ、第一次世界大戦勃発の一因となったとも評価されています。
また、その影響は後世にも及びました。第二次世界大戦後の冷戦期には、ソビエト連邦とその同盟諸国がアメリカ合衆国とその同盟国の力に対抗しようとした構図は、かつての大国間の均衡外交の延長線上にあるものとして捉えることができます。三国協商の成り立ちを理解することは、近代国際関係の基本構造を学ぶうえで欠かせない一歩といえるでしょう。