帆の枚数は確実にはわかっていない
インダス文明(紀元前2600年頃~紀元前1900年頃)において、インダス川を航行した船に帆が何枚取り付けられていたのか、その正確な枚数は現在のところ確定していません。最大の理由は、当時の文字記録が未解読であることに加え、船体そのものや帆といった有機物の遺物が気候や土壌の影響でほとんど残存していないためです。
残されている考古学的手がかり
とはいえ、いくつかの重要な手がかりは存在します。モヘンジョダロなどから出土したテラコッタ製の船の模型や、印章に刻まれた船の図像は、当時の造船技術を知るうえで貴重な資料となっています。これらの描写からは、一本のマストと帆を備えた船が存在した可能性が示唆される一方、帆を使わず櫂(かい)で漕ぐ舟だったとする見解もあります。図像の解釈が研究者によって分かれるため、帆の枚数についても単帆説を含め諸説あり、断定には至っていません。
メソポタミアとの交易から推測できること
インダス文明がメソポタミア(シュメール)と海上交易を行っていたことは、メソポタミア側の粘土板文書や両地域で出土した交易品によって裏付けられています。ペルシャ湾を越える長距離航海では、風の力を利用する帆が極めて有効であったと考えられます。しかし、インダス川内の移動は比較的短距離で水流に任せた航行も可能だったため、川船においては帆が必須ではなかった可能性もあります。
まとめ
結論として、インダス文明の川船の帆の枚数は、現存する記録と考古学的証拠が限られているため、正確には不明です。今後の発掘調査や図像解析の進展により、古代インダスの船舶技術に関する新たな知見が明らかになることが期待されています。