薔薇戦争は、1455年から1487年にかけてイングランドで繰り広げられた内乱です。この争いは、プランタジネット朝の王家を二分する「ヨーク家」と「ランカスター家」という二つの分家が、イングランド王位の支配権をめぐって対立したもので、断続的な武力衝突と政治的な駆け引きが特徴でした。ここでは、薔薇戦争に関わった主要な勢力について詳しく見ていきましょう。
ヨーク家(白薔薇の陣営)
ヨーク家は、リチャード・ヨーク公を旗頭とし、その後は彼の子息たち——後にエドワード4世として即位するエドワードや、リチャード・グロスター公(後のリチャード3世)——が指導しました。ヨーク家は、エドワード3世の四男であるエドマンド・オブ・ラングリー(初代ヨーク公)の血統に基づいて、イングランド王位への継承権を主張しました。
ランカスター家(紅薔薇の陣営)
一方のランカスター家は、エドワード3世の三男であるジョン・オブ・ゴーント(初代ランカスター公)の子孫にあたります。現国王ヘンリー6世とその支持者たちがこの陣営の中核を担い、王妃マーガレット・オブ・アンジューをはじめ、多くの有力貴族が味方しました。
両家の対立と戦いの経過
王家の二つの分岐とその忠実な支持者たちによる対立は、一連の戦闘と権力闘争として展開されました。最終的にはヨーク家が優勢となり、1461年にはヨーク家のエドワードがエドワード4世として戴冠します。しかし、王位継承をめぐる争いはそれで終わりではなく、ヨーク家内部での対立が再び火種となり、さらにヘンリー・テューダー率いるランカスター派が勢力を盛り返すことになりました。
薔薇戦争の結末とテューダー朝の始まり
薔薇戦争は1485年、ボズワースの戦いによって決着しました。この戦いでヘンリー・テューダーは、最後のヨーク朝国王であるリチャード3世を破り、ヘンリー7世としてイングランド王位を手にします。この勝利はテューダー朝の幕開けを意味し、イングランドにおけるプランタジネット朝の時代に終止符が打たれたのです。