古代の歴史

リチャード・クロムウェルの治世で何が起こったのか?わずか9か月で終わった護国卿時代の顛末

リチャード・クロムウェルは、イングランド・スコットランド・アイルランドの共和政(コモンウェルス)において、1658年から1659年までの約9か月間、第2代護国卿として統治しました。父オリバー・クロムウェルの後を継ぎましたが、その在位は極めて短く、イングランド史上でも特異な時期となりました。ここでは、彼の治世中に起こった主な出来事を時系列でご紹介します。

リチャード・クロムウェルの治世の主な出来事

1658年:第2代護国卿への就任

父オリバー・クロムウェルの死去を受けて、リチャード・クロムウェルは第2代護国卿として宣言されました。議会も彼を新しい国家元首として承認する投票を行いました。しかし、彼には父のような軍事的実績やカリスマ性がなく、当初からその地位は不安定でした。

1658年〜1659年:多方面からの反発と混乱

リチャードの統治は、軍、議会、共和派といった各勢力からの挑戦に直面しました。護国卿体制(プロテクトレート)に対する不満が広範に広まり、王政復古を求める声が次第に高まっていきました。

1659年:議会の解散

政府の安定を保障する法案の可決を議会が拒否したため、リチャードは議会を解散させました。この決定により、護国卿体制と議会との対立はさらに深刻化しました。

1659年:護国卿辞任と体制の崩壊

統治への反対運動と政治的混乱が拡大した結果、リチャード・クロムウェルは護国卿を辞任しました。護国卿体制は廃止され、残部議会(ランプ議会)が復活しました。これにより共和政は事実上終わりを迎え、王政への回帰へと移行していくことになりました。

1660年:王政復古

チャールズ2世のもとで王政が復古し、護国卿の時代は完全に幕を閉じました。この歴史的転換は「ステュアート朝の復古」として知られています。

まとめ

リチャード・クロムウェルの治世は、9か月足らずという短さながら、イングランドの歴史における重要な転換点となりました。彼の辞任は、清教徒革命以来続いた共和政の終焉を意味し、翌1660年の王政復古への道を開くこととなったのです。