「クイーン戦争」という名称の戦争は歴史上存在しませんが、この質問はおそらくアン女王戦争(Queen Anne's War)(1702年〜1713年)を指しているものと思われます。アン女王戦争は、北米植民地で繰り広げられた一連の「フランス・インディアン戦争」の第二段階にあたり、ヨーロッパではスペイン継承戦争の一部でした。
入植者たちは誰のために戦ったのか
アン女王戦争において、イギリス系入植者たちはイギリス(当時はイングランド王国)のアン女王のために戦いました。彼らの敵は、北米に広大な領土を持つフランスと、フロリダを拠点とするスペインでした。
一方、フランス側にはヌーベルフランス(カナダ)の入植者たちが付き、さらに両陣営とも先住民族の部族と同盟を結んで戦いました。イギリス側はイロコイ連邦(モホーク族など)を、フランス側はワバナキ族やアベナキ族などの諸部族を味方につけました。
戦争の背景
1701年、スペイン王カルロス2世が後継者を残さず死去したことで、ヨーロッパではスペイン継承戦争が勃発しました。イギリス、オランダ、オーストリアなどがフランスとスペインの連合に対抗したこの戦争は、北米の植民地にも飛び火し、アン女王戦争として知られることになりました。
北米における対立の根本原因は、イギリスとフランスという二つの植民帝国による領土と交易権益(特に毛皮交易)をめぐる競争でした。
主な戦闘
- ディアフィールド襲撃(1704年): フランス軍と先住民の連合軍がマサチューセッツの町ディアフィールドを襲撃し、多くの住民が捕虜として連れ去られました。
- ポートロイヤル攻略(1710年): イギリス軍とニューイングランド植民地の兵士たちが、アカディア(現在のノバスコシア)のフランス要塞ポートロイヤルを占領しました。
- ケベック遠征(1711年): イギリスはヌーベルフランスの中心ケベックを攻撃しようとしましたが、艦隊がセントローレンス川で座礁する事故などにより失敗に終わりました。
- 南部戦線: カロライナ植民地はスペイン領フロリダのセントオーガスティンを攻撃する一方、フランスと同盟した先住民との衝突にも見舞われました。
ユトレヒト条約と戦争の結果
1713年のユトレヒト条約により、アン女王戦争は終結しました。この条約でイギリスは以下の利益を獲得しました。
- ニューファンドランド島とハドソン湾周辺地域(フランスから)
- アカディア(ノバスコシア)(フランスから)
- 西インド諸島のセントクリストファー島(セントキッツ島)全域(フランスから)
- スペインからはジブラルタルやミノルカ島、奴隷貿易の独占権(アシエント)も獲得
こうしてイギリス系入植者たちの戦いは、北米におけるイギリス勢力圏の拡大という形で結実しました。しかし、フランスの脅威が消えたわけではなく、その後もジョージ王戦争(1744年〜1748年)やフレンチ・インディアン戦争(1754年〜1763年)へと対立は続いていくことになります。
まとめ
アン女王戦争でイギリス系入植者たちは、母国イギリスのアン女王のために、北米の覇権をめぐってフランスとスペインに立ち向かいました。彼らの戦いは、後に続く一連の植民地戦争の序章であり、北米大陸の勢力図を大きく変える第一歩となったのです。