「暗黒時代(Dark Ages)」という言葉を最初に使い始めたのは、14世紀イタリア・ルネサンスを代表する人文主義者、フランチェスコ・ペトラルカであるとされています。彼は西ローマ帝国の滅亡から自分の時代までの数百年間を、古代の栄光が失われた「闇の時代」として捉え、この認識が後世の「暗黒時代」という概念の出発点となりました。
ペトラルカが「闇」を見出した理由
ペトラルカ(1304年〜1374年)は「人文主義の父」と呼ばれる詩人・学者であり、古代ギリシャ・ローマの古典文化を人類の到達点とみなしていました。そのため、古代の終焉から自身の生きる時代までの期間を、文化と知性が衰退した停滞期と捉える視点を自然と持つようになったのです。
彼自身はこの時代を「中間の時代(media tempestas)」といった表現でも言及しており、古代とルネサンスをつなぐ「影の期間」として位置づけました。
言葉の普及と定着
ペトラルカのこの時代観は、16〜17世紀以降の歴史家や作家たちによって受け継がれ、「暗黒時代」という表現がヨーロッパ全体に広まっていきました。
特に宗教改革期には、プロテスタント側の歴史家がカトリック教会の支配下にあった中世を批判する文脈でこの言葉を用い、さらに啓蒙思想の時代になると、理性が抑圧された時代というイメージとともに一層定着しました。こうして「暗黒時代」は、ヨーロッパにおける文化的・知的衰退期を指す言葉として広く認識されるようになったのです。
現代史学における再評価
一方、現代の歴史学において「暗黒時代」という呼称はほとんど使われていません。考古学や文献研究の進展により、いわゆる「暗黒の時代」にあたる中世前期においても、農業技術の革新、修道院による古典の保存と学問の継承、カロリング朝・ルネサンスなど、多様な文化的活動が存在していたことが明らかになったためです。
今日では、この時代は単に「中世前期」と呼ばれるのが一般的であり、「暗黒時代」は歴史的実態にそぐわない偏見を含んだ表現とみなされています。
まとめ
「暗黒時代」という言葉の生みの親は、14世紀イタリアの人文主義者ペトラルカです。古代への憧れと中世への批判から生まれたこの概念は、後の歴史家や思想家たちによって増幅されながら広まりましたが、現代の研究ではその実態が大きく書き改められ、現在は過去の時代観を映す言葉として語り継がれています。