古代の歴史

エドワード王がウィリアム・ウォレスを殺害したのはいつ?歴史的事実を解説

エドワード王はウィリアム・ウォレスを直接殺したのか?

結論から言うと、イングランド王エドワード1世が自らの手でウィリアム・ウォレスを殺害したわけではありません。しかし、ウォレスの死にエドワード1世が深く関わっていたことは事実です。ウォレスは1305年、エドワード1世の命令によって処刑されました。

フォルカークの戦いとその後の逃亡

1298年に行われたフォルカークの戦いでは、エドワード1世率いるイングランド軍がスコットランド軍を打ち破り、指導者だったウォレスは敗北しました。この戦いの後、ウォレスはスコットランド守護官の職を辞し、以降およそ7年間にわたってイングランド軍の追跡をかわしながら潜伏生活を続けたと伝えられています。

捕縛から処刑まで

1305年8月、ウォレスはグラスゴー近郊のロブロイストンで捕らえられました。裏切りによる密告がきっかけだったと言われています。捕らえられたウォレスはロンドンへ送られ、反逆罪などの罪に問われました。

そして1305年8月23日、ウォレスはロンドンのスミスフィールドで、当時反逆者に対して科された極めて残酷な刑である「絞首・内臓抉り・四つ裂き」の刑によって処刑されました。こうしてスコットランド独立の英雄とされるウォレスは、39歳前後でその生涯を閉じたのです。

まとめ

エドワード1世自身が剣を取ってウォレスを殺したのではなく、捕らえたウォレスを公開処刑にかけさせたのが史実です。映画『ブレイブハート』でも描かれたこの出来事は、スコットランド独立運動の歴史において重要な転換点となり、後のロバート・ザ・ブルースによる独立戦争の機運を高める一因となりました。