フェルディナンド・マゼラン(Ferdinand Magellan)は、後に「マゼランの世界周航」として知られる偉業を成し遂げることなく、1521年4月27日、東南アジアのフィリピン諸島で命を落としました。では、彼は死ぬまでにどのような旅を経てきたのでしょうか。その足跡をたどってみましょう。
スペインからの出発(1519年9月)
1519年9月20日、マゼランはスペインのサンルーカル・デ・バラメーダ港から、5隻の船と約270名の乗員を率いて出航しました。この航海の目的は、西回りの航路で香料諸島として知られたモルッカ諸島に到達することでした。
大西洋横断と南米沿岸の航行
船隊は大西洋を渡り、現在のブラジルやアルゼンチンの海岸沿いを南下しました。途中小パタゴニア地方で厳しい冬を越えるなど、反乱や船の喪失といった数々の困難に直面しながらも、旅を続けました。
マゼラン海峡の発見(1520年10月)
1520年10月、マゼランは南アメリカ大陸の南端にある海峡を発見し、通過に成功します。この海峡は後に「マゼラン海峡」と呼ばれるようになりました。さらに、その先に広がる大洋を「マール・パシフィコ(穏やかな海)」と名付けたのもマゼランです。
過酷な太平洋横断
約3か月半に及ぶ太平洋横断の間、乗員たちは食料不足と壊血病に苦しみました。1521年3月、船隊はようやくグアム島(マリアナ諸島)に到達し、補給を行うことができました。
フィリピンへの到達と最期
1521年3月、船隊はフィリピンのサマール島に到着し、その後セブ島などで現地の首長たちと交流を深めました。しかし、マクタン島の首長ラプ=ラプがスペインへの服従を拒否したため、マゼランは武力による制圧を試みます。1521年4月27日のマクタン島の戦いにおいて、マゼランはラプ=ラプ率いる現地勢力との戦闘中に討ち死にしたのです。
死後も続いた偉業
マゼラン自身は世界一周を果たせませんでしたが、部下のフアン・セバスティアン・エルカーノが指揮を引き継ぎ、残された船ビクトリア号は1522年にスペインへ帰還しました。こうして人類史上初の世界周航が完成したのです。
まとめ
マゼランは死ぬ前に、スペインから大西洋、南米南端の海峡、太平洋、そしてフィリピンへと至る壮大な旅を経験していました。彼の人生の終着地となったのは、フィリピンのマクタン島です。