古代の歴史

古代ギリシャで人はどのようにして奴隷になったのか?主な7つの経路を解説

古代ギリシャ社会において、奴隷制は経済や日常生活に深く根ざした制度でした。では、人々はどのような経緯で奴隷となったのでしょうか。ここでは、主な7つの経路を紹介します。

古代ギリシャで人が奴隷となる7つの経路

1. 戦争での捕虜

古代ギリシャにおける奴隷の最大の供給源の一つが、戦争や軍事紛争での捕虜でした。ギリシャのポリス(都市国家)や軍隊が遠征を行う際、捕らえた敵側の人々を奴隷として売却することが一般的でした。ペルシャ戦争やペロポネソス戦争など大規模な戦乱のたびに、大量の捕虜が奴隷市場へと流れました。

2. 「異邦人(バルバロイ)」としての出自

ギリシャ人は、ギリシャ語を話さない非ギリシャ人を「バルバロイ(異言語を話す者)」と呼び、彼らを奴隷化の対象とみなすことが少なくありませんでした。トラキア、スキタイ、小アジアといった近隣地域の出身者が、奴隷の重要な供給源となっていました。

3. 海賊による略奪

当時の地中海では海賊行為が横行しており、海賊たちは船舶や沿岸の集落を襲撃しては、捕らえた人々を奴隷として売り払っていました。エーゲ海や東地中海の航路は特に危険で、自由な身分の人であっても、ひとたび襲われれば瞬く間に身柄を奪われる可能性がありました。

4. 債務奴隷

借金を返済できなくなった場合、その弁済手段として自らの身を差し出し、奴隷となるケースも存在しました。ただし、アテナイではソロンの改革(紀元前6世紀)により債務奴隷制が廃止され、市民が債務のために奴隷にされることは禁じられました。

5. 孤児・捨て子

親を亡くした孤児や、引き取り手のいない捨て子は、面倒を見てくれる親族や保護者がいなければ、奴隷として売られることがありました。古代社会には今日のような児童保護の仕組みがほとんどなかったためです。

6. 自ら進んで身を売る「自売」

まれなケースではありますが、極度の貧困から逃れるため、あるいは生活の糧を得るために、自発的に自分自身を奴隷として売る人々もいました。奴隷であっても衣食住が保証される場合があるため、追い詰められた状況では現実的な選択肢となったのです。

7. 誘拐

奴隷商人や人身売買に関わる者たちが、自由な身分の人々を誘拐して奴隷として売り払うこともありました。ホメロスの叙事詩には、戦争や略奪によって人々が奴隷の身分に落とされる場面が描かれており、こうした行為が古くから存在していたことがうかがえます。

都市国家によって異なる奴隷の扱い

重要なのは、奴隷制の実態や奴隷への扱いが、ギリシャの各ポリス(都市国家)によって大きく異なっていたという点です。例えばスパルタでは、被征服民であるヘイロタイと呼ばれる従属民が人口の大部分を占めていた一方、アテナイでは比較的権利を認められた奴隷も存在しました。また、時代が下るにつれて、奴隷制を規制し、奴隷の処遇を改善するための政策や法的保護も次第に整えられていきました。