アレクサンダー大王はカイバル峠を通過したのか?
結論から言えば、アレクサンダー大王自身はカイバル峠を通過していません。インド遠征の際、大王は主要な街道であるカイバル峠を避け、より困難で遠回りとなる北方のルートを選択しました。
二手に分かれたマケドニア遠征軍
紀元前327年、アレクサンダーはインド侵攻にあたり、軍を二つの部隊に分けました。ヘファイスティオンとペルディッカスが率いる主力部隊は、補給と架橋の準備のためカイバル峠を通ってインダス川へ先発しました。
一方、大王自身はスワート渓谷方面の険しい山地ルートを進軍し、途中で現地勢力との戦いを繰り広げながら、「攻略不可能」と謳われた要塞アウルノス(現在のパキスタン北西部、ピル・サールの岩山とされる)の包囲戦へと向かいました。
難攻不落の要塞アウルノスの戦い
アウルノスは断崖絶壁の上に築かれた天然の要塞で、神話の英雄すら陥落できなかったと伝えられていました。アレクサンダーは土塁や矢橋を用いた大胆な工兵作戦によってこの要塞を制圧し、インダス川流域への道を切り開きました。
このように大王が選んだのは、距離も難易度も上回る迂回ルートでしたが、そこには沿道の平定と補給線の確保という明確な戦略的意図があったのです。