1726年、世界はどんな時代だったのか?
18世紀前半の1726年は、ヨーロッパでは大国間の外交関係が再編され、アジアでは清朝が安定した統治を築き、新大陸では植民地が拡大を続けるなど、「近代世界」の骨格が形成されつつあった時期です。この年に起きた主な出来事を分野ごとに振り返ってみましょう。
1. スウィフト『ガリヴァー旅行記』の出版
イギリスの風刺作家ジョナサン・スウィフトが、代表作『ガリヴァー旅行記』の初版を出版しました。小人国や巨人国への冒険を通じて当時の社会や政治を鋭く風刺した本作はたちまち人気を博し、今日でも世界中で読み継がれる古典となっています。
2. ウィーン条約の締結
神聖ローマ皇帝カール6世率いるハプスブルク家(オーストリア)とロシア帝国の間でウィーン条約が調印されました。両国はフランスやイギリスの影響力に対抗するために同盟を結び、ヨーロッパの勢力図に大きな変化をもたらしました。
3. 清朝による統治の強化
中国では雍正帝の治世のもと、満洲族の王朝である清朝が支配体制をさらに固めていました。雍正帝は税制改革や行政機構の整備を積極的に進め、後の乾隆帝期の繁栄につながる安定した基盤が築かれた時期です。
4. ロシア・ペルシア戦争の帰結
1722年から続いたロシア・ペルシア戦争は、ピョートル大帝率いるロシアが優位のまま講和条約で決着し、バクーやデルベントを含むカスピ海沿岸地域がロシアの手に渡りました。1726年頃にはこの新領土の支配が着実に進められていました。
5. モンテビデオの創建
南米ウルグアイの首都モンテビデオが、スペインのラ・プラタ副王領初代総督ブルーノ・マウリシオ・デ・サバラ率いる入植者によって建設されました。ポルトガル勢力の南下に対抗する拠点として築かれた街は、後に南米有数の港湾都市へと発展していきます。
6. 北米におけるイギリス植民地の成長
北アメリカ東部では、イギリス植民地が貿易と移民の増加に伴って順調に発展しました。新しい土地への開拓も進み、のちのアメリカ合衆国の基礎となる社会が育ちつつありました。
7. バッハの作曲活動
ドイツの作曲家ヨハン・ゼバスティアン・バッハは、ライプツィヒのトーマスカントルとして多忙な日々を送りながら数多くの作品を生み出しました。1726年にはクラヴィーア曲集の第1巻として『パルティータ 第1番 変ロ長調 BWV 825』を出版しており、これは彼が自ら刊行した最初の鍵盤曲集として音楽史上でも意義深いものです。
8. 数学の進歩 ― マクローリン級数
イギリスの数学者コリン・マクローリンは、関数を冪級数の無限和として表す「マクローリン級数」の研究で名を馳せ、解析学の発展に大きく寄与しました。
9. 反射望遠鏡の改良
イギリスの数学者・天文学者ジョン・ハドリーは、屈折望遠鏡の宿命的な弱点であった色収差を克服できる反射望遠鏡を実用レベルまで改良しました。これにより天体観測の精度は飛躍的に向上しています。
10. ベーリングによる太平洋探検
ロシアに仕えたデンマーク出身の航海者ヴィトゥス・ベーリングが、ピョートル大帝の命を受けた第一次カムチャツカ探検隊を率いて北太平洋へ向かいました。この探検は、後に「ベーリング海峡」と呼ばれる海域の確認につながり、ロシアの北太平洋進出の足がかりとなりました。
11. スペイン帝国の拡張
スペイン帝国は南北アメリカ大陸での支配域を広げ続け、太平洋岸やカリフォルニア方面への探検・布教活動も活発化していました。中南米におけるスペインの影響力は、この時期にほぼ頂点を迎えています。
12. オスマン帝国の苦境
一方、オスマン帝国は内部の対立や腐敗に加え、台頭するロシアやハプスブルク家(オーストリア)といった外部勢力からの圧力にも直面していました。かつての全盛期との落差が次第に明らかになり、帝国の緩やかな衰退が始まる時代でもありました。
まとめ
1726年は、文学や音楽といった文化面での輝かしい成果と、列強間の外交・軍事の駆け引き、そして科学技術の進歩が同時に進んだ年でした。こうした出来事の一つひとつが、後の世界史の大きな流れを形作っていったのです。