古代の歴史

古代ケルト人はハロウィンランタンに何を彫っていた?実はカボチャではなく「カブ」だった

ハロウィンといえば、恐ろしい顔を彫り刻んだカボチャのランタン「ジャック・オー・ランタン」を思い浮かべる人が多いでしょう。しかし、この風習の起源である古代ケルト人の伝統では、彫られていたのはカボチャではなくカブ(ルタバガ)だったのです。

古代ケルト人の「サウィン祭」とカブのランタン

古代ケルト人は、夏の終わりと冬の始まりを迎える10月31日から11月1日にかけて、「サウィン祭(Samhain)」と呼ばれる重要な祝祭を行っていました。この時期は生者の世界と死者の世界の境界が薄くなると信じられ、人々は悪霊から身を守るためにさまざまな儀式を行いました。

その一つが、カブやルタバガの中身をくり抜き、恐ろしい顔を彫って中にろうそくや炭火を入れたランタンを作ることでした。これらの光るランタンは、悪霊や妖精を追い払うお守りとして家の入り口や窓辺に飾られたといわれています。

なぜカボチャではなくカブだったのか?

理由はシンプルです。カボチャはアメリカ大陸原産の作物であり、16世紀以降、いわゆる「コロンブス交換」によってヨーロッパに伝わるまで、ケルト人の住むアイルランドやスコットランドには存在しなかったからです。当時のヨーロッパで手に入る野菜といえば、カブ、ビート、ジャガイモなどが中心でした。特にカブは入手しやすく、大きさも適度だったため、ランタンの材料として最適だったのです。

アメリカへの移住が伝統を変えた

19世紀、大飢饉(ジャガイモ飢饉)などをきっかけに多くのアイルランド移民がアメリカへ渡りました。彼らは故郷のサウィン祭のランタン作りの習慣を持ち込みましたが、新天地ではカブよりもはるかに大きく、彫りやすいカボチャが豊富に手に入ったため、材料は自然とカボチャへと置き換えられていきました。

こうして現在私たちが知るカボチャのジャック・オー・ランタンが誕生したのです。つまり、カボチャのハロウィンランタンは、アメリカで生まれた比較的新しいスタイルであり、そのルーツはヨーロッパのカブの伝統にあるというわけです。

まとめ

古代ケルト人がサウィン祭で彫っていたのはカブであり、カボチャではありません。カボチャがヨーロッパに伝わったのは16世紀以降で、それ以前のケルト人には存在しない野菜でした。移民たちの手でアメリカに伝わった際に材料がカボチャに変わり、今日のハロウィンの象徴となったのです。歴史を知ると、いつも目にするあのオレンジ色のランタンにも、深い物語が宿っているのが分かりますね。