古代の歴史

自由フランス軍(FFL):ナチス占領下で生まれた抵抗の軍隊

自由フランス軍(FFL)とは

自由フランスに結集した武装勢力は「自由フランス軍(Forces Françaises Libres:FFL)」と呼ばれた。彼らの象徴となったのが、ロレーヌ十字である。

FFLの内部には、自由フランス空軍(FAFL)と自由フランス海軍(FNFL)という独立した部門が存在し、陸上部隊は単に「FFL」と称された。この陸上部隊の徽章は、二つの青い翼の間に赤い剣が配され、月桂樹の葉の輪に囲まれたデザインで、上部には「France Libre(自由なるフランス)」の文字が刻まれていた。戦後になっても、シャルル・ド・ゴール将軍は軍服を着用する際、この徽章を胸につけ続けたと言われている。

最大の武勲――ビル・ハケイムの戦い

自由フランス軍の最も著名な戦果の一つが、1942年5月26日から6月11日にかけてリビアで行われたビル・ハケイムの戦いである。ケーニグ将軍率いる第1自由フランス旅団は、ロンメル元帥のアフリカ軍団によるスエズ方面への猛攻を14日間にわたり食い止めた。

この粘り強い抵抗により、敗走していたイギリス第8軍はエル・アラメインの防衛線で態勢を立て直す時間を獲得し、ロンメルのスエズ運河への進撃はついに阻止された。わずか3,700人の兵士が、戦車と航空機を擁する40,000人の枢軸軍を相手に奮戦し、そのうち800名が命を落とした。この勝利は、連合国側に対して「フランス軍は再生した」ことを示す決定的な証明となったのである。

忘れられた戦い――シリア・レバノン戦役

一方、あまり知られていない戦いとして、1941年6月から7月にかけてシリアおよびレバノンで展開された、ヴィシー政権軍との戦闘が挙げられる。これは同じフランス人同士が銃を向ける悲劇的な戦いでもあった。

志願兵たちの誇り

自由フランス軍は、ヴィシー政府が署名した休戦協定を拒否した、あらゆる階層出身の志願兵によって構成されていた。パイロットのピエール・クロステルマンが著書(原題:Une vie pas comme les autres、Flammarion社、2005年刊)で語った逸話は、当時の志願兵たちの精神状態をよく物語っている。

クロステルマンの同僚が、制服の下に黄色い靴下と黄色いセーターを着ていたことを指揮官に叱責されたとき、その同僚はこう答えたという。
「大佐、私は軍人たちがやりたがらなかった戦争を、自ら志願して戦いに来た一市民なのです!」

自由フランス軍の終焉

FFLは1943年8月1日、アンリ・ジロー将軍が指揮する北アフリカの仏アフリカ軍との合併に伴い、その名称を消し、新たなフランス解放軍へと再編されることとなった。

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