ローマ帝国をキリスト教へ導いた人物
ローマ帝国をキリスト教へと転換させた中心人物として広く知られているのが、皇帝コンスタンティヌス1世(コンスタンティヌス大帝)です。彼は「最初のキリスト教徒ローマ皇帝」と呼ばれることが多く、帝国におけるキリスト教受容への道を開いた人物として高く評価されています。
コンスタンティヌス帝が実施した政策
ただし、コンスタンティヌス帝はキリスト教を正式な国教として宣言したわけではありません。それでも彼は、キリスト教徒に有利な政策を数多く打ち出しました。具体的には、宗教の自由を認めたこと、そして以前の弾圧で没収されていた財産をキリスト教徒に返還したことが挙げられます。これらの措置により、信者たちは公然と信仰を持てるようになり、教会は急速に力をつけていきました。
転換点となったミルウィウス橋の戦い
西暦312年のミルウィウス橋の戦いは、ローマ帝国におけるキリスト教受容の大きな転換点とされる出来事です。伝説によれば、コンスタンティヌス帝はこの戦いの前に空に十字架の幻影を見、「これによって勝て(In hoc signo vinces)」という言葉を聞いたと伝えられています。実際に彼はこの戦いに勝利して帝国の支配権を確立し、以後、キリスト教への支援を本格的に強めていきました。
ミラノ勅令とその後の展開
翌313年、コンスタンティヌス帝は共同統治者リキニウスとともにミラノ勅令を発布し、キリスト教を含むあらゆる宗教に公式の寛容を認めました。さらに325年にはニカイア公会議を開催して教義の統一を図るなど、教会の発展にも深く関与しています。晩年には自ら洗礼を受け、337年にこの世を去りました。
なお、キリスト教が正式にローマ帝国の国教となったのは、380年にテオドシウス1世がテッサロニケ勅令を発布したときです。つまり帝国のキリスト教化は、コンスタンティヌス帝によって始まり、後継の皇帝たちによって完成されたといえるでしょう。