「中世のローマ帝国」という表現を耳にすることがありますが、実はこの時代区分において、かつてのような統一されたローマ帝国は存在していませんでした。古代から中世への移行期に、ローマ帝国は東西に分裂し、それぞれ異なる運命をたどったのです。
西ローマ帝国の滅亡――5世紀の出来事
西ローマ帝国は、ゲルマン民族の大移動や度重なる侵略によって疲弊し、5世紀に崩壊しました。一般的には476年、皇帝ロムルス・アウグストゥルスが退位させられた年を西ローマ帝国滅亡の年とされています。これにより、ヨーロッパ西部における古代ローマの政治体制は終わりを迎えました。
東ローマ帝国(ビザンツ帝国)は1000年間存続
一方、帝都コンスタンティノープルを中心とした東側の領域では、ローマ帝国が存続し続けました。後世の歴史家から「ビザンツ帝国」と呼ばれるこの国家は、ギリシャ語圏・キリスト教(正教会)文化を基盤としながらも、自らをローマ帝国の正当な継承者と位置づけていました。
東ローマ帝国は1453年、オスマン帝国によるコンスタンティノープルの陥落まで、実に約1000年もの間存続したのです。つまり、中世の大部分において、「ローマ」の名を冠する帝国は東方で確かに生き続けていました。
中世とはいつからいつまで?
歴史学において中世は、一般に5世紀から15世紀にかけての時代と定義されます。始まりは西ローマ帝国の滅亡(5世紀)に、終わりはコンスタンティノープルの陥落やルネサンスの始まり(15世紀)に対応します。
まとめ
中世には統一ローマ帝国は存在せず、西ローマ帝国は5世紀に滅亡した一方、東ローマ帝国(ビザンツ帝国)は15世紀まで存続しました。したがって、「中世のローマ帝国」という場合、厳密には東ローマ帝国を指すことになります。この東西の対照的な運命こそが、中世ヨーロッパ史を理解するうえで重要な鍵となるのです。