ヴェスヴィオ山噴火当時のローマ皇帝は「ティトゥス」
紀元79年にヴェスヴィオ山が大噴火し、ポンペイやヘルクラネウムの街を火山灰と火砕流が呑み込んだ際、ローマ帝国の皇帝であったのはティトゥス(Titus Flavius Vespasianus)です。
父ウェスパシアヌスの死後、わずか数か月での大災害
ティトゥスは、フラウィウス朝の初代皇帝ウェスパシアヌスの長男として生まれました。父ウェスパシアヌスは79年6月に亡くなり、ティトゥスが次代のローマ皇帝として即位します。しかし、その即位からわずか数か月後の79年(噴火の時期には8月説と10月説があります)、ヴェスヴィオ山は未曾有の大噴火を起こしたのです。
なお、ティトゥスの正式名は父と同じ「ティトゥス・フラウィウス・ウェスパシアヌス」であるため混同されやすいのですが、一般に「ウェスパシアヌス」と呼ばれるのは父帝の方であり、噴火時点ではすでに亡くなっています。
被災者への迅速な支援
歴史家スエトニウスらの記録によれば、ティトゥスはこの大災害に迅速に対応したと伝えられています。被災状況の調査のため元老院議員を現地に派遣し、遺体の埋葬や復興のために巨額の資金を投じました。さらに、カンパニア地方の被災者の財産を他の共同体で再建できるよう配慮するなど、被災者支援に尽力したことが知られています。
まとめ
ヴェスヴィオ山噴火時(紀元79年)のローマ皇帝はティトゥスです。父ウェスパシアヌスの死を受けて同年に即位したばかりの新帝が、古代史上最悪級の自然災害に直面することとなりました。