古代の歴史

ハンムラビは「城」に住んでいたのか?バビロンの宮殿の真実

古代バビロニアの王として名高いハンムラビ。彼は「城」に住んでいたのでしょうか?結論から言うと、答えはノーです。ハンムラビが暮らしていたのは、当時のバビロニア帝国の首都であったバビロン市内に建てられた宮殿でした。

ハンムラビが住んでいたのは「宮殿」

ハンムラビは、紀元前18世紀頃(在位:紀元前1792年〜1750年頃)にバビロニア第一王朝の第6代目の王として君臨した人物です。彼が実際に生活し、政務を執り行っていたのは、バビロン市内にそびえる壮大な王宮(宮殿)でした。

宮殿とは、王族や高位の役人など、権力者のための豪華な住居であり、居住空間であると同時に、政治・行政・儀式の場としても機能していました。ハンムラビの宮殿もまた、王国の統治の中心地として重要な役割を果たしていたと考えられています。

「宮殿」と「城」は何が違うのか?

一見似ているように思えるこの二つの建築物ですが、その目的と性格は大きく異なります。

  • 宮殿: 王族や貴族の住居として建てられた豪華な建造物。快適さや権威の象徴、統治機能が重視される。
  • 城: 敵からの攻撃に備えた防御・防衛を主目的とした要塞型の建造物。城壁や堀、見張り塔などの軍事的要素が特徴。

つまり、城は本質的に軍事拠点であり、宮殿は権力と生活の中心なのです。

時代が違えば建築も違う

さらに重要なポイントは、時代の違いです。私たちがイメージする「城」——石造りの城壁や天守閣を備えた要塞——は、主に中世ヨーロッパや封建制の時代に発達したものです。

一方、ハンムラビが生きた古代メソポタミアは、城が一般的になるはるか前の時代にあたります。当時のメソポタミアでは、日干しレンガや焼成レンガを用いたジッグラト(聖塔)や宮殿が典型的な大型建築であり、後世のヨーロッパ的な「城」の概念はまだ存在していませんでした。

まとめ

ハンムラビは城ではなく、バビロンの都にあった宮殿に住んでいました。「法の制定者」として知られる彼の治世は、都市を中心とした高度な文明が栄えていた時代であり、その権力の座となったのが壮麗な王宮だったのです。城という建築様式が登場するのは、それから数千年後の中世のこと。時代と地域によって、「権力者の住まい」の姿がいかに変化してきたかを物語る好例と言えるでしょう。