ピョートル大帝(ピョートル1世)がロシアのツァーリとして即位したのは、1682年のことです。父アレクセイ・ミハイロヴィチ(アレクセイ1世)の死後、その後を継いだ異母兄フョードル3世も1682年に急逝したため、わずか10歳のピョートルがツァーリに擁立されました。
共同統治と摂政ソフィアの時代
即位当初、ピョートルは異母兄イワン5世との「共同統治」という形をとりました。これは、ストレリツィ(銃兵隊)の反乱を背景に決められたもので、この時期、実権はピョートルの異母姉ソフィア・アレクセーエヴナが摂政として握っていました。少年期のピョートルは政治の表舞台から離れ、プレオブラジェンスコエ村で「遊び兵団」を率いるなどして過ごしますが、この経験が後に彼の軍事改革へとつながります。
権力掌握への道のり
1689年、成長したピョートルはソフィアを失脚させ、名目上の統治権を取り戻しました。しかし、正式な単独統治が実現したのは、1696年に共同ツァーリだったイワン5世が死去してからのことです。
以降、ピョートルは大北方戦争での勝利、西欧化改革、サンクトペテルブルクの建設など、数々の偉業を成し遂げ、1721年には自ら「皇帝」を称しました。こうしてロシアは帝国としての道を歩み始め、彼こそが後世「大帝」と称えられる理由となったのです。