ローマの象徴ともいえるコロッセオ。約2,000年の時を超えて今もなお威容を誇りますが、よく見ると外壁の一部が欠け、完全な姿ではありません。かつて4階建ての外周壁を有していたこの巨大円形闘技場が、なぜ現在のような姿になってしまったのでしょうか。その背景には、自然災害から人為的な要因まで、実にさまざまな歴史が刻まれています。
1. 大地震による崩壊
コロッセオにとって最大の打撃となったのは、地震です。特に1349年に発生した大地震では、南側の外壁が大きく崩落しました。実は、コロッセオが建つ地盤は場所によって性質が異なり、柔らかい土の上に建てられた南側が特に被害を受けやすかったのです。崩れ落ちた石材の多くは、後世のローマ市内の建築物、例えばサン・ピエトロ大聖堂やパラッツォなどに再利用されたとも言われています。
2. 火災による損傷
西暦3世紀には、大規模な火災が発生し、コロッセオは深刻な被害を受けました。当時、内部構造や木製の設備が焼失し、その後も修復を繰り返しながら使用され続けましたが、建造物全体へのダメージは無視できないものでした。
3. 戦争と侵略の歴史
ローマ帝国の衰退とともに、街自体が度重なる戦乱に巻き込まれるようになりました。455年にはヴァンダル族によるローマ略奪が起こり、コロッセオも戦争や侵略の中で損傷を受けています。古代の繁栄を支えていた維持管理体制が失われたことも、建物の劣化を加速させる一因となりました。
4. 建材としての「採石場」利用
5世紀以降、コロッセオはもはや闘技場としてではなく、貴重な建材の供給源として扱われるようになりました。トラバーティン(石灰華)や大理石、鉄材をつなぐ鉛などが次々と持ち去られ、事実上の「採石場」として機能していたのです。中世からルネサンス期にかけて、法王王庁や貴族の宮殿建築のために石材が搬出されたことは有名な話です。
5. 長い歳月による風化
そして忘れてはならないのが、時間そのものの力です。雨、風、温度変化、植物の根の侵入など、自然の営みによる風化は約2,000年間ずっと続いてきました。近年では大気汚染や観光客の増加による負荷も懸念されており、保存・修復作業が継続的に行われています。
まとめ
コロッセオが一部しか残っていないのは、単一の原因によるものではなく、地震や火災といった天災、戦乱の人災、そして石材の流用と長年の風化という複数の要因が積み重なった結果です。それでもなお、その壮大な姿を留めていることこそ、古代ローマ人の卓越した建築技術の証と言えるでしょう。