イギリスによるネイティブ・アメリカンの扱い
イギリス人入植者たちは当初、食料や交易をネイティブ・アメリカンに依存していたため、比較的良好な関係を築いていました。しかし、植民地が拡大するにつれて、彼らは次第にネイティブ・アメリカンの土地へと侵食していき、両者の間に対立が生まれるようになりました。さらに、イギリス人が持ち込んだ天然痘などの病気は、免疫を持たないネイティブ・アメリカンの人口に壊滅的な打撃を与えました。
18世紀には、北米大陸の支配権をめぐってイギリスとフランスの間で「フレンチ・インディアン戦争(北米植民地戦争)」が勃発しました。この戦争に勝利したイギリスは、カナダを含む北米におけるフランス領土のすべてを獲得します。その結果、イギリス系入植者がネイティブ・アメリカンの土地へ進出しやすくなり、両者の対立はさらに激化していきました。
19世紀に入ると、アメリカ合衆国政府は「インディアン移住法」に基づく移住政策を採用し、ネイティブ・アメリカンを先祖伝来の土地から西部の居留地(リザベーション)へと強制的に移住させました。この政策は、土地、文化、そして従来の生活様式の喪失をもたらし、ネイティブ・アメリカン社会に壊滅的な影響を及ぼしました。1830年代に行われた「涙の道」と呼ばれる強制移住では、数千人のチェロキー族が過酷な旅の中で命を落としたとされています。
フランスによるネイティブ・アメリカンの扱い
フランスもまた、当初は食料や交易の面でネイティブ・アメリカンとの協力が不可欠だったため、友好的な関係を築いていました。特に毛皮交易においては、フランス人商人とネイティブ・アメリカンの間に強い相互依存の関係が存在していました。しかし、フランスの植民地が成長するにつれて、彼らもまたネイティブ・アメリカンの土地に侵入するようになり、対立が生じるようになりました。加えて、フランス人がもたらした天然痘などの感染症は、ネイティブ・アメリカンの人口を激減させました。
18世紀のフレンチ・インディアン戦争でイギリスが勝利したことにより、カナダを含む北米のフランス領土はすべてイギリスの手に渡りました。これにより、北米大陸におけるフランスの植民地主義は事実上終焉を迎えることとなりました。
なお、一般的にフランスはイギリスに比べてネイティブ・アメリカンとの関係が比較的穏健だったと言われています。これは、フランス人が大規模な農業入植よりも毛皮交易を重視しており、そのためにネイティブ・アメリカンとの協力関係を維持する必要があったためです。ただし、これはあくまで相対的な評価であり、フランスの植民地活動もまたネイティブ・アメリカンに深刻な影響を与えたことに変わりはありません。
まとめ
イギリスとフランスは、どちらもネイティブ・アメリカンに否定的な影響を与えました。病気の持ち込み、土地の侵食、強制移住といった行為は、ネイティブ・アメリカンの命、文化、そして生活様式の喪失につながりました。一方で、そのアプローチには違いがあり、交易を軸とした関係構築を重視したフランスに対して、イギリス(および後のアメリカ合衆国)はより大規模な入植と領土獲得を優先していた点は特筆に値します。植民地時代の歴史を理解することは、今日の先住民族が直面する課題の背景を知るうえでも重要です。