古代の歴史

1066年、イングランド王位を主張した3人の請求者とは?その根拠と背景を解説

1066年、エドワード懺悔王(エドワード証聖王)が直系の後継者を残さないまま亡くなると、イングランド王位をめぐって3人の強力な人物が対立することになりました。彼らはそれぞれ異なる根拠に基づいて王位を主張し、やがてイングランドの歴史を大きく変える戦乱へと発展していきます。

1. ハロルド・ゴドウィンソン(Harold Godwinson)

当時のイングランドで最も権勢を誇った貴族です。アングロサクソン人の貴族評議会である「ウィタン(Witan)」によって正式に次期国王に選出され、エドワード懺悔王の死後すぐにイングランド王として即位しました。国内の支持基盤が最も厚かったのがこのハロルドです。

2. ノルマンディー公ウィリアム(William, Duke of Normandy)

後の「征服王ウィリアム」ことウィリアムは、エドワード懺悔王の遠い親戚にあたります。彼は「エドワードがかつて自分にイングランド王位を約束した」と主張し、これを根拠に王位継承権を訴えました。この主張こそが、同年のノルマン・コンクエスト(ノルマン征服)へとつながっていきます。

3. ノルウェー王ハーラル・ハドラーダ(Harald Hardrada)

北欧に君臨する強大なヴァイキングの支配者でした。彼は、ノルウェー王マグヌスとイングランド王ハーザクヌートの間で交わされた「先に死去した方の王国をもう一方が継承する」という協定に基づき、イングランド王位を主張しました。実際にハーラルは1047年にマグヌスの後を継いでノルウェー王となっており、この協定をイングランドにも及ぶものと解釈したのです。

3人の主張が導いた運命の年

こうして王位をめぐる3人の対立は、1066年にスタンフォード・ブリッジの戦いとヘイスティングスの戦いという二つの決定的な戦いへと向かいます。結果として勝利を収めたのはノルマンディー公ウィリアムであり、イングランドはアングロサクソン時代からノルマン朝の時代へと大きく転換することとなりました。