結論から言えば、アレクサンドリアのヒュパティア(Hypatia of Alexandria)に子供がいたことを示す歴史的な証拠や記録は一切存在しません。
ヒュパティアとはどのような人物か
ヒュパティア(生年不詳〜紀元415年没)は、古代後期のローマ帝国支配下にあるエジプトの都市・アレクサンドリアで活躍した女性哲学者、数学者、天文学者です。父である数学者テオンの薫陶を受け、プラトンやプロティノスの思想を継ぐネオプラトニズム(新プラトン主義)学派の指導的存在として、当時の地中海世界で広くその名を知られていました。
同時代の記録に子供の存在はない
ヒュパティアの生涯については、教会史家ソクラテス・スコラスティコスの『教会史』や哲学者ダマスキオスの著作など、複数の同時代および近い時代の歴史資料に言及があります。しかし、これらの文献には彼女の結婚や出産、家族に関する記述がまったく見られません。
むしろ史料が伝えるのは、彼女が生涯を学問の探究と弟子たちへの教育に捧げていたという姿です。当時の女性としては極めて稀な存在であり、公衆の前で哲学を講じ、多くの学生から深い尊敬を集めていました。
独身を貫いた学者としての生涯
一部の伝承によれば、ヒュパティアは結婚の誘いに対して「真実(真理)と結婚している」と答えて断ったとも言われています。この逸話の史実性は定かではありませんが、彼女が家庭よりも知の探求を優先する人物だったとされる理由の一つとなっています。
紀元415年、政治的・宗教的な対立に巻き込まれたヒュパティアは、狂信的な暴徒の手によって悲劇的な最期を遂げました。彼女の死は、古代の学問文化が衰退へ向かう象徴的な出来事として、後世に長く記憶されることになりました。
まとめ
現存するあらゆる歴史資料の中に、ヒュパティアが子供を持っていた、あるいは結婚していたことを示す記録は確認されていません。彼女は生涯独身であり、そのすべてを哲学・数学・天文学の研究と教育に注ぎ込んだ、古代屈指の女性学者だったのです。