古代の歴史

イギリスは本当にインドのカースト制度を廃止したのか?歴史的経緯を解説

イギリスによるインド植民地支配の時代、カースト制度に対する姿勢は決して一貫したものではありませんでした。イギリス当局は、カースト制度の影響を和らげることを目的とした一定の法的改革や行政施策を導入しましたが、制度そのものを直接廃止したわけではなく、根絶を目指す包括的な政策を持っていたわけでもありませんでした。

イギリスが行った改革とその限界

イギリスは、1829年のサティー(未亡人の殉死)禁止令や、1850年の「信仰自由法(カースト差別撤廃法)」など、ヒンドゥー社会の慣習に介入する法律をいくつか制定しました。特に後者は、宗教改宗を理由にカーストから追放されることによる財産権の剥奪を禁じるものでした。しかし、これらはあくまで個別の慣習への対応にとどまり、カースト制度全体を廃止する政策ではありませんでした。

むしろ、1871年には「犯罪部族法」が制定され、特定の共同体を「生まれながらの犯罪者」と指定するなど、社会的分類を固定化・強化する側面もありました。さらに、国勢調査でカーストを公式に記録した結果、かえってカースト意識を強めたという指摘もあります。イギリス当局は既存の社会秩序に深く介入しない間接統治を基本としており、カースト制度の根絶に本格的に取り組むことはありませんでした。

独立後のインドによる正式な廃止

カースト制度の正式な廃止は、1947年のインド独立後、インド政府自身の手によって実現しました。1950年に施行されたインド憲法は、第17条で「不可触民制(アンタッチャビリティ)」を明確に禁止し、第15条では宗教・人種・カースト・性別による差別の禁止を定めています。

また、憲法起草委員会を率いたB・R・アンベードカルの尽力により、指定カースト・指定部族向けの留保制度(議席や公務員採用における優遇措置)も導入されました。これらの憲法上の措置こそが、カースト制度の法的廃止への道を開いたのです。

まとめ

つまり、「イギリスがインドのカースト制度を廃止した」というのは正確な表現とは言えません。イギリスは部分的な社会改革を行ったものの、制度そのものを廃止する包括的な政策は取らず、正式な廃止はインド独立後、インド政府が憲法に基づく措置を講じることによって初めて達成されたのです。