考古学的発見

ギリシャ・エウボイア島の「ドラゴンハウス」――建設年代も用途も謎に包まれた巨石建造物

現代においてなお、古代の巨大建造物でありながら正確な年代測定が行われず、その実態がほとんど明らかになっていないという事実は驚くべきことです。ギリシャのエウボイア島に点在する「ドラゴンハウス(ドラコスピタ)」は、まさにそんな謎めいた存在です。

ドラコスピタとは何か

「ドラコスピタ(Drakospita)」は、地中海で6番目に大きいエウボイア島の南部一帯に広がる、約20棟の大型建造物群です。いずれも巨大な石を積み上げた長方形の構造で、古代に「キュクロプス式」と呼ばれた工法が用いられています。モルタルなどの接着材を一切使わず、巨石を積み重ね、その隙間には小さな石を詰めています。

屋根は同じく大きな石板で覆われており、採光のための開口部が設けられています。この開口部については、炉の煙を抜くための換気口だったという説や、内部に安置された神々の像を見上げるための天窓だったという説など、さまざまな解釈が存在します。

ギリシャ・エウボイア島の「ドラゴンハウス」――建設年代も用途も謎に包まれた巨石建造物

保存状態の良い主要な建造物

現在も良好な状態で残っているのは、島の南東端に位置するオヒ山の建造物と、クリオシ山の旧大理石採石場付近にあるパッリ・ラッカの3棟です。

なぜ「ドラゴンハウス」と呼ばれるのか

この名称は、伝説上の竜が建造に関わったからではありません。あまりにも巨大な石块を使用しているため、地元の伝承では、その無名の建設者たちが人間離れした超人的な力を持っていたと信じられてきたことに由来します。

発見と研究の歴史

これらの建造物が初めて記録されたのは18世紀末のことですが、今日に至るまで正確な年代は特定されていません。紀元前7世紀にさかのぼり、後のギリシャ神殿の先駆けだとする説がある一方、ヘレニズム期(紀元前3〜4世紀)の防御施設だったと考える専門家もいます。

発見者の名前は、イギリスの地質学者ジョン・ホーキンスです。1797年10月21日、標高1,398メートルのオヒ山を登頂した彼は、そこに立つ建造物を実見し、図面やスケッチを残しました。そして「この建造物は古典期の神殿よりも古いに違いない」と結論付けました。

その後、多くの考古学者がこの地を訪れています。1842年にはハインリヒ・ウルリヒスが専門書を出版し、10年後にはフランス人のジュール・ジラールがパッリ・ラッカの建造物についての記述をまとめました。彼らは屋根の構造を中心に、ティリンスやミケーネのミケーネ文明の建造物との類似性を指摘しました。しかしこの見方は、1896年にテオドール・ヴィーガントが両者に関係がないことを立証するまで続きました。

ギリシャ・エウボイア島の「ドラゴンハウス」――建設年代も用途も謎に包まれた巨石建造物

近年における主な調査としては、アメリカ人研究者のジャン・カーペンターとダン・ボイドによるものが挙げられます。

オヒ山の建造物の詳細

オヒ山の建造物は標高1,386メートル地点にあり、規模は12.7×7.7メートルです。南壁の中央には高さ2メートル、幅1メートルの扉があり、その上部には突出した約10トンの巨大な石製の楣(まぐさ)が架かっています。側面には小さな窓もあります。

壁の平均厚は1.4メートルあり、重量のある石造りの屋根を支えるのに十分な強度を備えています。内部の高さは最大2.4メートル、床面積は48平方メートルで、床全体も石板で覆われていました。

パッリ・ラッカの3棟

パッリ・ラッカの3棟は、規模こそオヒ山のものとほぼ同じですが、壁の厚みは平均1.1メートルと薄くなっています。使用されている石材も小型で、全体的により素朴で洗練されていない作りであり、おそらくオヒ山のものより古い時代の建造物と考えられています。

古代文献に一切記録されない謎

興味深いことに、これらの建造物に関する記述は古代の文献に一切見られません。そのため、入手できる情報はすべて、所在地周辺に伝わる伝説や民間伝承によるものです。

1959年にオヒ山の建造物で行われた発掘調査では、ヘレニズム期の陶器片と、いくつかの梁部材が出土しました。うち1本には未解読の文字による短い銘文が刻まれており、現在はカルキストス考古学博物館に収蔵されています。

ギリシャ・エウボイア島の「ドラゴンハウス」――建設年代も用途も謎に包まれた巨石建造物

天文観測所説

2002年から2004年にかけて、アテネ大学宇宙物理学教室の研究チームがオヒ山の建造物の方位を分析しました。その結果、建物の向きが紀元前1100年頃のシリウスの出現方向と一致することが判明し、天文観測所としての機能を持っていた可能性が指摘されています。

謎はまだ解けていない

さらなる調査が進んでいない現在も、ドラコスピタは考古学者にとって謎のままです。後世のギリシャ建築の進化を理解する鍵となる重要な遺構である可能性もあれば、ローマ支配以前の羊飼いたちの単なる避難小屋にすぎない可能性もあるのです。真の姿が明らかになる日は、まだ遠いかもしれません。