考古学的発見

J.R.R.トールキンに着想を与えた実在の指輪――4世紀に盗まれた「ヴァイン・リング」の謎

J.R.R.トールキンが、作品全体の中心モチーフとなる一つの指輪を構想するにあたり、実在の考古学的遺物からヒントを得ていたのか――本人がその点について語っていないため、確かめることはできない。

しかし1929年、すなわち指輪が初めて登場する『ホビットの冒険』(1937年)の執筆の8年前、そして『指輪物語』(1954年)の刊行の25年前にあたる年、この南アフリカ出身の作家は、イングランドで発見された奇妙な指輪について相談を受けていた。内側に呪いの銘文が刻まれた、いわゆるヴァイン・リング(Vyne Ring)である。

文学に息づく「呪いの指輪」たち

もちろん、トールキンへの影響はこれだけにとどまらないだろう。プラトンが『国家』の中で記録したギュゲスの指輪伝説は、まさにその典型といえる。ほかにも、13世かにも、13世紀に歴史と虚創を織り交ぜてドイツの伝説をまとめた叙事詩『ニーベルンゲンの歌』(トールキンは書簡のなかで一部否定している)、さらにはそれをもとにリヒャルト・ワーグナーがアイスランドのサガの諸要素を総合して作曲した楽劇『ニーベルングの指環』などが挙げられる。

J.R.R.トールキンに着想を与えた実在の指輪――4世紀に盗まれた「ヴァイン・リング」の謎

こうした神話のサイクルにおいて重要な役割を果たしたのがアンドヴァリナウトである。元の所有者である小人(ドワーフ)アンドヴァリにちなんで名付けられた魔法の指輪で、アンドヴァリが滝の下に住み、魚へと姿を変えられたことは、ゴラムの姿とかぶるところがある。この指輪は持ち主を次々と渡り歩きながら、所有する者に不幸をもたらし続けた。

その意味で、ヴァイン・リングの特異な点は、文学的な着想ではなく、最初の具体的かつ実在のインスピレーションとなりうる遺物だということだ。すべては、先述の1929年にサー・モーティマー・ウィーラーが助言を求めて訪ねてきたことから始まった。

ウィーラーとリドニー・パークの発掘

考古学を学んだ者なら誰もが知るウィーラーは、20世紀を代表する考古学者の一人であり、土地を四角区画に分割し、出土品をそれぞれの地層に応じて記録することで正確な年代測定を可能にする、今日も標準的に用いられる層位学掘削法の考案者である。

ウィーラーは1920年代、グロスタシャー州リドニー・パークの遺跡発掘の指揮を執っていた。当地には17世紀に建てられた由緒ある邸宅があり、アン女王の王室会計官やブレディスロー子爵の手に渡ったほか、第二次世界大戦中には、イギリスへ避難したオランダ王室の居所としても使われた。

J.R.R.トールキンに着想を与えた実在の指輪――4世紀に盗まれた「ヴァイン・リング」の謎

しかしこの邸宅のほかに、崖の縁に位置する2ヘクタールの丘もあった。頂上には鉄器時代の要塞が築かれ、ローマ人が露天掘りと坑道掘りの両方で4世紀頃まで採掘を続けた鉄山の遺構も残っていた。

また、ケルトの神ノデンスを祀る神殿も建てられていた。ノデンスは特にブリテン島で厚く信仰された神格で、後に島で崇拝された二人の半神的な王、アイルランドのヌアダ・アイルゲトラム、およびウェールズのグウィン・アプ・ヌッド(ルッドとも呼ばれ、地名リドニーの由来ともされる)の信仰と関わりを持つ。

発掘の結果、建築遺構のあいだから神殿、巡礼者のための宿坊、浴場、周囲を囲むアーチ状の門(基礎が脆弱だったため崩壊し、残存部分はわずか)が姿を現した。さらに、犬の彫像9体(犬はノデンスに結びつけられた動物で、この地が夢解釈による治癒を行う聖域アスクレペイオンであったことを示す。「通訳者」ウィクトリヌスなる人物が夢解釈を業としていたことを伝える銘文も出土している)、魚を描いたモザイク(ノデンスは海の主でもあった)、青銅器、フィブラ(留め具ブローチ)、硬貨、腕輪などが見つかっている。

1785年、シルチェスターで見つかった指輪

一方、指輪のほうはそれより1世紀半前の1785年、約150キロメートル離れた場所で発見されていた。ポーツマスやサウサンプトンといった沿岸都市を擁するハンプシャー州、シルチェスターの農地に埋もれていたのである。この地方は古代において最もローマ化が進んだ地域の一つだった。実際、指輪に刻まれた銘文から、所有者はシルウィアヌスという名のブリトン・ローマ人であることがわかる。今日の名称「ヴァイン」は、指輪を入手して屋敷ザ・ヴァインに保管したチュート家に由来する(現在はナショナル・トラスト、いわば英国版の国民的遺産保護団体が所蔵している)。

J.R.R.トールキンに着想を与えた実在の指輪――4世紀に盗まれた「ヴァイン・リング」の謎

指輪は通常のものよりやや大きく、手袋をした指にはめることを想定して作られた可能性がある。直径25ミリ、重量12グラム。形状は厳密には円形ではなく、10枚の平面ファセットで構成され、うち1面には方形の台座が設けられ、女神ウェヌス(ヴィーナス)の像が左右反転した「VE」「NS」の頭文字に挟まれて彫刻されている(意図的に逆向きに刻まれているため、封蝋や粘土に押印すれば文字が正しく転写される仕組みだ)。外側にはSENICIANE VIVAS IIN DEという銘文があり、適切に訂正すると(Iの重複と、スペース不足による末尾のOの脱落がある)、「セニキアヌスよ、神のもとで生きんことを」という意味になる。

指輪を盗んだ男と呪詛板

所有者がシルウィアヌスなら、なぜセニキアヌスの名が刻まれているのか。どうやらセニキアヌスが指輪を盗み、自分の名を刻んだらしい。それを裏付けるのが、19世紀初頭にリドニーで発見された、ラテン語銘文入りの鉛板デフィクシオ(defixio)である。DEVO NODENTI SILVIANVS ANILVM PERDEDIT DEMEDIAM PARTEM DONAVIT NODENTI INTER QVIBVS NOMEN SENICIANI NOLLIS PETMITTAS SANITATEM DONEC PERFERA VSQVE TEMPLVM DENTIS――これは「神ノデンスに捧ぐ。シルウィアヌスは指輪を失い、その価値の半分をノデンスに捧げる。セニキアヌスと名乗る者は、指輪をノデンスの神殿に返し届けるまで、健康であらしめるな」という趣旨の文章だ。

これは「呪詛板」と呼ばれるもので、古典古代のギリシア・ローマ世界において、神々(多くは冥界と関わる神格)に訴えかけて特定の相手に災いをもたらすために用いられた、ごく一般的な手段だった。通常は蝋、粘土、木の板に書かれたが、これらは長期の保存に耐える材質ではない。そのため現存するものの大半は、本例のように極薄の鉛板に記され、丸めたり折りたたんだりしてから地中に埋められた(井戸に投げ込まれたり、壁に打ち付けられた例もある)。ときにはヴードゥー教のように釘を打ち込んだ人形と組み合わせられることもあり、目的が真逆の、恋愛成就や死者の安寧を祈願する版も存在した。

J.R.R.トールキンに着想を与えた実在の指輪――4世紀に盗まれた「ヴァイン・リング」の謎

トールキンへの相談と論文「ノデンスの名」

遺跡を西暦364年のものと断定したウィーラーは、指輪のセニキアヌスと呪詛板のセニキアヌスとの関係に気づいていた。さらにノデンスへの祈りを刻んだ板が相次いで見つかるにつれ、彼はこの神の名に関する詳細な検討を、トールキンに依頼することにしたのである。

当時のトールキンはまだ文壇に足を踏み入れていなかったが、文献学者・辞書編纂者として、そしてオックスフォード大学ペンブルック・カレッジのアングロサクソン語教授として、揺るぎない知的声望を確立していた。『オックスフォード英語辞典』初版の編纂にも参加し、ゲルマン系および北欧起源の英単語の語源を担当していた人物である。

J.R.R.トールキンに着想を与えた実在の指輪――4世紀に盗まれた「ヴァイン・リング」の謎

トールキンはこの依頼に応じて調査を行い、その成果はThe name Nodens(「ノデンスの名」)と題する論文として結実した。1932年、リドニー・パーク発掘報告書の付録として発表されたこの論文のなかで、彼はノデンスをゲルマン起源の語と考え、前述のヌアダ・アイルゲトラムおよびグウィン・アプ・ヌッドとの関連性を論じている。

「ドワーフの丘」と2013年の展示会

これら一連の出来事は、中つ国のサーガに影響を与えたのだろうか。その方向を示唆する材料はほかにもある。リドニー・パークの遺跡をめぐっては、古くから小人(ドワーフ)やゴブリンなどの小さな生き物が棲みついているという民俗伝説が語り継がれてきたのだ。

そもそもノデンスのアスクレペイオンが立っていた丘そのものが、「ドワーフの丘(Dwarf's Hill)」と呼ばれていた。2013年にはトールキン協会が当地で展示会を開催し、ヴァイン・リング、ノデンス呪詛板の複製、『ホビットの冒険』初版本などを公開したほか、近隣にはテーマにちなんだ遊戯場も設けられた。