考古学的発見

ヴィミナシウム――ローマ遺跡史上最多の墓が発見された古代都市

ドナウ防衛線とモエシア属州の再編

西暦86年、デケバルスの前任者である王ドゥラス率いるダキア人が、ドナウ川南岸のローマ属州モエシアへ攻め込みました。これを受けて皇帝ドミティアヌスは自ら現地に赴き、今後の軍事作戦に備えて属州の再編を実施します。こうしてモエシアは二つに分割されました。ドナウ川河口までの南岸一帯と現在の北ブルガリアを含む「下モエシア」と、現在のセルビア中部、コソボ、北マケドニアの一部からなる「上モエシア」です。

交易と軍事の要衝として栄えた都市

上モエシアの主要都市の一つがヴィミナシウムでした。その遺跡は現在のスタリ・コストラツから約12キロ、ベオグラードから約145キロ離れたセルビア東部に位置しています。

同市は西暦1世紀に建設され、最盛期には4万人の住民を擁しました。ドナウ川南岸沿いを走りビザンティオン(後のコンスタンティノープル)へ至る幹線道路「ウィア・ミリタリス(軍用道路)」沿い、しかもドナウ川とマルヴァ(ムラヴァ)川に挟まれた立地だったことから、商業と交通の重要拠点として発展し、約6,000人の兵士を収容する軍事基地も併せ持っていました。

ヴィミナシウム――ローマ遺跡史上最多の墓が発見された古代都市

トラヤヌスの遠征拠点、そして植民市へ

皇帝トラヤヌスは、西暦101年から106年にかけて行われたダキア戦争の間、ここを本営として使用しました。さらに239年には貨幣鋳造の特権を与えられたコロニア(植民市)となり、都市としての地位を一層高めていきます。

疫病で倒れた皇帝ホスティリアヌス

251年、皇帝ホスティリアヌスは母ヘレニア・エトルスキッラを伴ってヴィミナシウムを訪れ、北部国境の防衛体制の整備を監督していました。ところが当地で疫病が流行し、母子ともに同年12月にこの世を去ります。首都ローマからあまりにも遠く離れていたため、二人はネクロポリス(墓地)内の霊廟に、正式な礼をもって埋葬されました。

ヴィミナシウム――ローマ遺跡史上最多の墓が発見された古代都市

ディオクレティアヌスの視察と大闘技場

293年には皇帝ディオクレティアヌスがヴィミナシウムを訪れています。当時の記録によれば、南部諸州でギリシャ語が使われていたのに対し、この街の住民はラテン語で文字を書いていたといいます。この頃、市には1万2千人を収容できる円形闘技場(アンフィテアトルム)が存在していました。

アッティラによる破壊、そして滅亡

441年、フンの王アッティラによって市は完全に破壊されます。その後ユスティニアヌス帝によって再建されましたが、582年から599年にかけてアヴァール人による徹底的な破壊を受け、歴史の表舞台から姿を消しました。

450ヘクタールの遺跡――発掘はまだ3~4%

1882年にセルビア初の考古学発掘調査が始まったこの遺跡は、面積450ヘクタルにおよび、ローマ時代の神殿、街路、広場、円形闘技場、宮殿、競技場、浴場などの遺構が今も残っています。これまでに4万点以上の出土品が見つかり、うち700点は金・銀製品です。考古学者によれば、2018年時点で調査が完了しているのは全体のわずか3~4%にとどまるといいます。

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ローマの医薬品が出土したヨーロッパで5番目の遺跡

特に注目すべき発見の一つが、外科用・医療用器具や、内容を記した銘文を伴う薬剤の遺物です。ローマ時代の医薬品が確認されたのはヨーロッパで5番目の例(リヨン、ランス、パドヴァ、ケルンに次ぐ)であり、医学者ガレノスの時代以前に、すでに科学的な医学と薬学が発展していたことを示唆しています。

1万5千基超の墓――ローマ遺跡最多の数

しかし、ヴィミナシウムを他に類を見ない遺跡たらしめているのは、ローマ遺跡の中で最多となる1万5千基を超える墓の存在です。その多くは石積みで築かれ、フレスコ画で装飾されており、その意匠は多神教からキリスト教への移行の過程を今に伝えています。主に2世紀から3世紀に属する複数のネクロポリスと数多くの霊廟が確認されており、中でも2018年に発見された、15×15メートルの規模を持ち周囲を11基の墓が取り囲む霊廟(ホスティリアヌスの霊廟近郊)が際立ちます。

2020年の発見:鉛製石棺とプリンキピウム

2020年には、2世紀から4世紀にかけての鉛製石棺が相次いで見つかり、その一つには銀板に刻まれたギリシャ語の銘文が収められていました。さらに同年11月には、第7クラウディア軍団が駐屯していたカストゥルム(軍団基地)の中枢であるプリンキピウム(Principium/司令部庁舎)が発見されています。

これは延べ約3,500平方メートル、複数階建ての巨大な建造物で、40の部屋のほかに執務室、武器庫、聖域、バシリカを備え、全体が中央中庭を囲む列柱廊に取り囲まれていました。

ヴィミナシウム――ローマ遺跡史上最多の墓が発見された古代都市

ドナウ艦隊と眠っていたローマ軍船

5世紀前半の成立とされる官職録『ノティティア・ディグニタトゥム』には、テオドシウス帝時代のローマ帝国の組織と行政が詳述されていますが、その中でローマ・ドナウ艦隊の一部がヴィミナシウムに停泊していたことが記されています。今日この地域を流れる川はありませんが、マルヴァ川の古いドナウ川合流地点がすぐ近くにあり、2020年には古河床の深さ約8メートルの地点から、ローマ時代の船が埋蔵状態で発見されました。

これは浅瀬向けに建造された平底船で、全長約15メートル、幅2.7メートル。指揮台(トリブナ)の痕跡が残っており、軍船であったことを物語っています。

ヴィミナシウム――ローマ遺跡史上最多の墓が発見された古代都市

ローマ愛好家の新たな聖地へ

近年、ヴィミナシウムはローマ世界のファンにとって主要な観光地の一つとなっています。その中心となっているのが「ドムス・スキエンティアルム(Domus Scientiarum)」と呼ばれる複合施設で、科学研究所、博物館、軍団兵の宿舎を模した宿泊施設、そしてローマ式浴場を再現したスパが一体となっています。

これらすべてが、48のアトラクションを備える約2ヘクタールのローマテーマパーク内に含まれているのです。