考古学的発見

古代世界最大の日時計〈ホロロギウム・アウグスティ〉——その遺跡は今もローマに息づく

紀元前10年、ローマ皇帝アウグストゥスは、数学者にして建築家でもあったノウィウス・ファクンドゥスに命じ、ローマに巨大な日時計の設計と建設を依頼しました。これが〈ホロロギウム・アウグスティ(Horologium Augusti)〉です。その目的は、ローマによるエジプト支配を記念するとともに、「世界に平和をもたらすために生まれた」という皇帝自身の理念を永遠に刻むことにありました。

平和の祭壇と共鳴する壮大な計画

日時計の設置場所には、カンプス・マルティウス(マルスの野)が選ばれました。ここは紀元前13年から建設が進められていた〈アラ・パキス(平和の祭壇)〉と一体化するよう計画され、フラミニア街道にも沿って配置されています。

エジプトから運ばれた30メートルのオベリスク

影を落とす「ノーモン(指時針)」として、アウグストゥスはエジプトのヘリオポリスから高さ約30メートルの赤色花崗岩製オベリスクを運ばせました。このオベリスクは、紀元前595年から589年にかけてファラオ・プサメティコス2世が建立した由緒あるものです。

古代世界最大の日時計〈ホロロギウム・アウグスティ〉——その遺跡は今もローマに息づく

大理石の巨大な文字盤

オベリスクの影は、160メートル×75メートルにおよぶ四角形の大理石盤上に落ちるように設計されていました。文字盤はトラバーチンの板で構成され、金めっきを施した青銅の線と文字が象眼され、月や季節を示していました。

さらに見事なのは、9月23日――秋分の日であり、アウグストゥス自身の誕生日――には、オベリスクの影がちょうどアラ・パキスの中心に届くように配置されていた点です。日時計は紀元前9年に完成し、太陽神に捧げられました。大プリニウスも著書の中でローマのオベリスクについて触れる際に、この日時計に言及しています。

古代世界最大の日時計〈ホロロギウム・アウグスティ〉——その遺跡は今もローマに息づく

影が語る暦の仕組み

〈ホロロギウム・アウグスティ〉が占めた範囲は、現在のサン・ロレンツォ・イン・ルチーナ広場とパルラメント広場(国会広場)を含む円形のエリアに相当します。この円の中心にそびえたつオベリスクの頂には、青銅製の球体が載せられていました。

太陽の位置に応じて、オベリスクの影は大理石の文字盤の左右いずれかに伸び、正午の影の長さによってその日の日付を示したのです。プリニウスによれば、影に明確な輪郭を与えていたのがこの頂上の球体でした。ノウィウスは人間の頭部が落とす影を観察し、その原理を見抜いたといいます。

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機能停止の原因――地盤沈下

しかし、プリニウスが執筆活動を行っていた西暦70年頃には、この日時計はすでに何年も前から正確に機能していませんでした。プリニウスはいくつかの理由を挙げていますが、後の発掘調査で真実が明らかになります。洪水や地震の影響で、カンプス・マルティウスの地盤が沈下していたことが判明したのです。

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ドミティアヌス帝による修復

地盤沈下を補正し、日時計の精度を取り戻すため、皇帝ドミティアヌスは〈ホロロギウム〉の敷石と元の文字を再利用しながら、地面を1.5メートル以上もかさ上げしました。

日時計ではなく「太陽子午線」だったのか?

一方、研究者の中には、この建造物は本来、時刻を刻む日時計ではなく、〈太陽子午線(メリディアヌス)〉だったと考える者もいます。つまり、正午だけを示し、太陽が黄道十二宮を巡り、至点から至点へと移動するのに合わせて一年の進み具合を知らせる装置だったというのです。

この説によれば、トラバーチンの広大な文字盤の代わりに、冬至の正午に影が届く最遠点を区切る一本の縦線だけが引かれていたことになります。夏至――一年で最も昼が長い日――には、影は子午線に沿って完全に収まりきります。その後、太陽が地平線へと低くなるにつれ、正午の影は徐々に長くなりながら子午線上を伸びていき、それ以上伸びなくなった地点が冬至――一年で最も昼が短い日――を示したのです。

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倒壊と眠りの時代

オベリスクは9世紀から10世紀頃まで屹立していましたが、おそらく849年の地震、あるいは1084年の略奪の際に倒壊し、五つの破片に砕け散りました。その後、破片は次第に土砂に埋もれていきました。

再建への道――モンテチトーリオ広場へ

1512年に存在が確認されたものの、本格的な発掘は1748年まで待たねばなりませんでした。回収された破片をもとに、ひどく損傷していたアントニヌスの柱から採取した赤色花崗岩で欠損部分を補い、1792年に教皇ピウス6世によってローマのモンテチトーリオ広場に再建されました。今日私たちが目にするオベリスクです。本体の高さは21.79メートル、台座と球体を含めると33.97メートルに達します。

1980年の発掘とブフナーの説

1980年、ドイツ考古学研究所所長を務めた歴史家エドムント・ブフナーが、パルラメント広場とサン・ロレンツォ・イン・ルチーナ広場の間の街区の地下8メートルから、〈ホロロギウム・アウグスティ〉の月名を記したギリシャ文字と線が刻まれたトラバーチン板の断片を発見しました。まさにプリニウスが記述した通りの遺構でした。また、サン・ロレンツォ・イン・ルチーナ教会の基礎部分に今も残るモザイクの中に、文字盤のもうひとつの断片が含まれていると考えられています。

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今も続く論争

ブフナーが提唱した〈ホロロギウム〉の復元案や、「アウグストゥスの誕生日にオベリスクの影がアラ・パキスに落ちた」という説に対しては、懐疑的な研究者も少なくありません。その一方で、ふたつの記念碑は意図的に整列・配置され、オベリスクの両面に刻まれた同一のメッセージ――アウグストゥスは太陽神の敬虔な信仰者であり、「ローマを勝利へ導き、平和と繁栄をもたらす」のは、その地上の代理人たる皇帝を通じてである――を広めるためだったと主張する声もあります。

現代に受け継がれる記憶

1998年6月7日に完成したモンテチトーリオ広場の改修工事では、〈ホロロギウム・アウグスティ〉に敬意を表して、広場の舗装に新たな子午線が描かれました。もっとも、今日オベリスクの影が月や季節を示すことはもうありません。それでも、古代ローマの天文学と皇帝の権威を体現したこの巨大日時計の記憶は、ローマの街角に静かに息づいているのです。