考古学的発見

スワン・キリ・ウィハーン寺院(ワット・ナー・ムアン)|ラノーン「第一の寺」の歴史と建築

スワン・キリ・ウィハーン寺院(ワット・ナー・ムアン)とは

スワン・キリ・ウィハーン寺院は、タイ南部アンダマン海に面するラノーン県の市街地にある第三級の王家寺院です。マハーニカーヤ派に属し、1890年(仏暦2433年)、ラーマ5世(チュラーロンコーン大王)の王命により建立されました。ラノーンで最も古い寺であることから「ラノーン第一の寺」と称され、地元の人々からは「ワット・ナー・ムアン(市の前の寺)」という愛称でも親しまれています。

立地と環境

地形と周辺環境

寺院は、堆積岩が堆積してできた丘陵の裾野、山麓の緩やかな斜面に位置しています。周辺はラノーン市街の生活圏であり、北はバムルン・サターン通り、南はチャン氏(ナン・シー)所有の土地、東はサパーンヤーン運河、西はチャッチャレーム通りに隣接しています。

標高

海抜13メートル。

水系

サパーンヤーン運河、ルー運河、ダーン運河が流れ、これらはアンダマン海へと注いでいます。

地質

東側と北側には火成岩と泥岩からなる山地が広がり、寺院周辺はその堆積岩から成る地層です(タイ王国鉱物資源局、2007年)。

基本情報

  • 時代区分:歴史時代
  • 時代/文化:ラッタナコーシン期(ラーマ5世治世)
  • 建立年:1890年(仏暦2433年)
  • 種別:宗教施設(仏教寺院)

寺院の歴史

スワン・キリ・ウィハーン寺院の前身は「ワット・スワン・キリ・ターラーム」で、ラノーン県営スタジアム近くのソム・パーン海岸一帯にありました。正確な建立時期は不明ですが、1877年~1890年頃と推定されています。ところが、北部山地の錫鉱山から流れ下る濁った土砂が寺域を呑み込む災害に見舞われ、多くの僧侶や沙弥が寺を離れ、ついに廃寺となってしまいました。

1890年(ラッタナコーシン暦109年)、ラーマ5世が西海岸諸都市を行幸された際、自然災害で廃寺となったワット・スワン・キリの状況をご覧になり、ラノーン総督プラヤー・ラッタナセーティー(コー・シムコン・ナー・ラノーン)に対し、チャッチャレーム通り沿いに新しいワット・スワン・キリを建立するよう命じられました。

さらに国王は、旧ワット・スワン・キリ・ターラームの僧侶を招いてこの寺で誦経を行わせ、仏教界域(シーマー)を定めさせました。こうして「ワット・スワン・キリ・ウィハーン」と命名されました。そのことはラッタナコーシン暦113年(西暦1894年)10月2日付の勅令文書にも記録されています。

1894年10月22日にはウィスンカームシーマー(正式な僧界域)が授けられ、その区域は幅17メートル、奥行29メートルです。2001年4月9日には、古代遺跡登録簿第118号特別部33N号により、歴史的遺跡として正式登録されました。

境内のみどころ

境内の建築の大部分はビルマ(ミャンマー)様式で、タイ様式や中国様式の要素も所々に混ざっています。主要な建造物は仏塔(チェディ)と礼拝堂です。

ダートゥー・チェディ(仏塔)

ビルマ建築様式を代表する円形の仏塔です。地面から約80センチメートルの高さに盛られた八角形の基壇の上に立ち、基壇から頂部までの高さは約13メートルに及びます。四方を塀で囲まれた中庭を備え、塀は高さ約1メートルの頑丈なセメント造りで、各面に幅約2メートルの出入口があります。基壇と塀は白漆喰仕上げ、塔身と頂部は金色に輝き、段状の部分は真鍮製で、ビルマ様式らしい色石の装飾が施されています。

この仏塔を建立したのはプア・サイカーイ夫人とその夫ウー・アウム。ウー・アウムはビルマ王室の宮廷占星術師で、後にラノーンへ移住しました。現在も彼の子孫や、ビルマから移り住んだ仏教徒たちが、塔の清掃と修復作業を欠かさず続けています。

仏塔の西側には「プラ・シー・ローハプーム・ピタック記念碑(キューピュー・ナー・ラノーン)」が建っています。白漆喰で造られた八角形の壺のような形状で、高い基壇の上に据えられ、頂部は鐘形の仏塔となっています。内部にはナー・ラノーン家の遺骨が納められています。

礼拝堂(ウィハーン)

低い柵がめぐらされた風通しの良い建物で、長方形の平面を持ちます。正面(西側)には突き出した入口ポーチがあり、柱はセメント造り、上部構造は木造です。寄棟屋根には波板状の漆喰瓦が葺かれ、棟には蛇(ナーガ)をかたどった装飾が施されています。室内の床はタイル張りです。