ククラタナラム寺院(ワット・カイケーオ)とは
ククラタナラム寺院(Wat Kukuratanaram)、通称ワット・カイケーオは、タイ王国ノーンカーイ県パコー地区に位置するマハーニカーヤ派の仏教寺院です。メコン川沿いの高台に建ち、境内には古代都市ウィアン・ヌアの宗教施設跡とみられる貴重な遺構が残されています。
地形と周辺環境
ククラタナラム寺院とウィアン・ヌア寺院は、メコン川沿いの丘陵斜面に位置しています。この一帯はメコン川が運んだ土砂の堆積によって形成された土地で、現在は丘の上にパコー地区自治体の集落が広がり、住宅や建物が密集しています。南側には田園地帯が開け、全体としては河川とフワイ・パンポンの堆積作用による平野となっています(ウィアン・ヌアはフワイ・パンポンとメコン川の間に位置します)。
現在、ククラタナラム寺院はメコン川から南へ約200メートル、北側と東側はフワイ・パンポンから約150メートル離れた場所にあります。
標高・水系・地質条件
- 標高:海抜172メートル
- 主要水系:メコン川
- 地質:完新世におけるメコン川の堆積層
考古学的位置づけ
時代区分は歴史時代で、文化的にはランサーン朝期とラッタナーコーシン(チャクリー王朝)期にまたがります。主な年代は仏暦22〜24世紀(西暦17〜19世紀頃)および仏暦25世紀(20世紀)で、遺跡の種類は宗教施設に分類されます。
寺院の歴史
ククラタナラム寺院は「ワット・カイケーオ」の別名でも知られ、マハーニカーヤ派に属します。沿革によれば1923年(仏暦2466年)に建立され、1993年(仏暦2536年)にはウィスンカームシーマー(正式な礼拝区域の指定)を授けられました。境内には、古代都市ウィアン・ヌアの宗教施設であったと推定される遺構が点在しています。
八角形基壇の仏塔遺構
本堂の前方、すなわち境内の北東側には小さな仏塔の遺構があり、村人たちからは「カイケーオ遺構」と呼ばれています。遺構は崩壊が進んで基壇部分のみが残る状態ですが、現在は寺院によって小型の覆い堂(パビリオン)が設けられ、保護されています。
基壇は八角形プランで、レンガと漆喰により築かれ、現状で幅約1.5メートル、高さ約1.5メートルを測ります。一段式の基壇の一角には、逆さ蓮弁を模した漆喰(スタッコ)装飾の痕跡が残っており、ランサーン美術の影響を色濃く物語っています。このことから、当遺構は仏暦22〜24世紀(西暦17〜19世紀頃)の建造と考えられます。また、仏塔の北側に隣接してはレンガ造りの祭壇が設けられています。
ウィアン・ヌア伝承との関わり
ウィアン・ヌアは『プラ・ウランカダート伝説』に登場します。それによれば、プラ・ラッタナー師とチュラーロンコーン師が仏舎利3粒を携えて「ポーン・チック・ウィアン・ヌア」に安置したとされ、その地はノーンカーイ県ムアンノーンカーイ郡パコー地区のバーン・コークパーファーン一帯であると考えられています(「ヌア」と「コー」は同義の語です)。さらに、ノーンカーイ県内のメコン川流域やウドーンターニー県のプープラバート、さらにはウーサーバーロース物語に登場するタオ・バラートの都がパコーおよびウィアン・クークにあったとする伝承とも関連し、イーサーン伝承で「プラ・クート・ナーラーイ」と称されるプラ・ウナルッダ(ナーラーイ神の化身の一つ、クリシュナ神の孫とされる人物)の物語にもつながる可能性が指摘されています。
学術的な見解
多くの研究者は、ウィアン・ヌア一帯をチェンラ期ないしクメール支配期にさかのぼる古い都市と想定しています。パコー周辺からは、初期クメール美術のクーレン様式に属する寺院跡、石彫、石造彫像など数多くの遺物が見つかっており、ワット・コークパーファーン(ワット・プラタート・ポーンチック・ウィアン・ヌア)にも古代の遺構が確認されています。ただし、これらの遺構は後世の破壊や改変を受けて原型をとどめておらず、一部の寺院では偶像に漆喰を施して仏像へと改められた例もあります。こうした経緯から、クメール美術の影響の一部がプラタート・ポーンチック・ウィアン・ヌアに伝わったと考えられています。