ワット・スータットとは
ワット・スッタッテープワラーラム・ラーチャウォーラマハーウィハーン(Wat Suthat Thepwararam Ratchaworamahawihan)は、タイにおける第一級の王室寺院「ラーチャウォーラマハーウィハーン」に格付けされる由緒ある仏教寺院です。バンコク旧市街(ラッタナコーシン島)の外周部、現在のプラナコーン区ワット・ラーチャボーピット地区に位置し、北側はバンルームアン通りとジャイアント・スイング(巨大ブランコ)に隣接、東側はシリポン通り、南側はソイ・サーソーン沿いの商業ビル群、西側はティートン通りに面しています。
基本情報
- 標高:海抜約1メートル
- 水系:チャオプラヤー川流域
- 地質:完新世の堆積作用によって形成されたチャオプラヤー川流域の沖積平野
- 時代区分:歴史時代/ラッタナコーシン初期
- 創建年:1807年(仏暦2350年)
- 遺跡分類:宗教施設
創建の歴史
ラーマ1世による建立の発願
ワット・スータットは、チャクリー王朝初代国王ラーマ1世(プッタヨートファーチュラーローク王)の時代に建立が始まった大規模な寺院です。ラッタナコーシン建都の際、王は都市をトンブリー時代より拡張するため、運河を掘削して新しい堀を設けました。その結果、プラナコーンは二つの区域に分かれ、旧堀と新堀に囲まれた中央部が「バンコクの中心」とされ、そこにこの寺院が建てられることになりました。
王は、アユタヤ王朝の繁栄期の姿をラッタナコーシンにも再現したいという願いから、都の中心にアユタヤのワット・パーナンチェーンと同じ高さの大仏殿を備えた寺院を建立することを発願しました。寺院予定地はもともと沼地であったため、1807年から煉瓦や石を7~8層にわたって埋め立て、広大な敷地を造成しました。そして、スコータイのワット・マハータート本堂から迎える「プラ・シー・サキャムニー(スコータイ様式の大仏)」を安置するためにこそ、この寺が必要だと考えたのです。
プラ・シー・サキャムニーの遷座
1808年5月9日、大仏台の造営が完了すると、ラーマ1世はスコータイからプラ・シー・サキャムニーを招請しました。遷座の様子は『ナリントーンデーウィ公女回顧録』や『ラーマ1世王年代記』に詳しく記されています。それによれば、仏像は筏で運ばれ、3日間かけて王宮前まで進み、ターチャン門の岸辺で陸揚げされたといいます。当時、仏像が大きすぎて門を通れなかったため、門を取り壊して搬入したという逸話も残っています。この仏像は後に「プラ・シー・サキャムニー」の名で呼ばれるようになりました。
スコータイから運ばれた仏像は劣化が激しかったため、ラーマ1世は修復を命じ、顔や手指に新たに金を鋳込んで整えました。しかし、1809年、仏像の安置を見届けることなく王は病に臥し、崩御しました。
ラーマ2世による継承
当初、この寺には正式名称がなく、「ワット・プラ・トー」や「ワット・プラ・ヤイ」(大仏寺)、あるいは近くのジャイアント・スイングにちなんだ「ワット・サオチンチャー」と呼ばれていました。基礎定礎の際の記録では、最初の名称は「ワット・マハースッタワート」であったことが確認できます。
ラーマ2世(プッタロートラナーパーライ王)は1811年から1813年にかけて、先王の遺志を継いで境内に大仏殿(ウィハーン)の建造を進めました。王自身が深い信仰心から、大仏殿の扉に自ら下絵を描き、クロームムエン・チットプークディーに彫刻させたことは特に有名です。しかし、ラーマ2世の治世中には本体部分しか完成せず、前後の玄関や雨戸、窓などは未完成のまま1824年に治世を終えました。
ラーマ3世による完成と「ワット・スータットテープワラーム」への改名
ラーマ3世(ナンクラオ王)は、先代まで未完成だった建造物の完成に強い意欲を示しました。プラヤー・シーリピパット・ラッタナラーチャコーサーを総監督に任じ、大仏殿の拡張、周囲の回廊(ラビアンコット)、説法堂、僧堂などの建造を進めました。さらに、本堂(ウボーソット)用に膝幅10キュビット4インチの主主仏を鋳造し、1837年にはその仏体内に仏舎利を納めました。この主仏は王宮内の鋳造所で作られたもので、ラッタナコーシン時代の仏像の中でも最大級の大きさを誇ります。
また、ラーマ3世はウボーソット周囲の仏像群の建立、サッタマハースターン(七つの聖なる場所)やパンチャワキー(五体の仏像)の設置、回廊の建造と仏像の安置なども行いました。1840年には盛大な落成式典を挙行し、寺名を「ワット・スータットテープワラーム」と改称しました。式典の様子は『ナリントーンデーウィ公女回顧録』に、数万人もの人々が集まり、100発の礼砲が鳴り響き、人々の信仰心があふれた壮大な祭典であったと記録されています。
ラーマ3世治世中の主な出来事は以下の通りです。
- 1843年:ウボーソットの主仏に金箔貼りの儀式を実施(満月から15日までの3日間)。また、サムパンタウォーン寺(コーカウランカーラーム寺)からダルマトリローカーチャーン僧を初代住職として迎え、後に彼はプラ・ピモンダンマー、さらにアリヤウォンサーチャーン(僧王)に昇進しました。
- 1844年:大仏殿の扉の取り付け、および境内裏手の仏塔群の鋳造・建立。西側の釣鐘楼の鋳造、煉瓦台座に石彫装飾を施した7基の仏塔の建立。
- 1846年:境内に馬の鋳像2体を制作、後により精巧なものに作り直し。
- 1847年:3日3晩にわたる寺院落成慶祝法要の実施。
こうして、ラーマ1世の発願からラーマ3世による落成慶祝まで、ワット・スータットの建立には実に40年(1807年~1847年)の歳月がかかりました。
ラーマ4世以降の変遷
ラーマ4世(モンクット王)は、寺名を「ワット・スッタッテープワラーラム」と翻訳・改称しました。「スータットテープターラーム」「スッタッテープワラーラム」いずれの表記も、「ダオウェードゥン天界の中心、須弥山(プラ・スマン)上のスッタッサナ・ナコーン(善き都)」、すなわち帝釈天(インドラ)の住処を意味しています。
1853年には、ワット・バーンオーイチャーンから迎えた「プラ・プローティサート(導師仏)」を一時ウボーソットに安置した後、ワット・ボーウォンニウェートのウィハーン完成に伴って同寺へ遷座させ、代わりに新しい仏陀像1体と80人の大弟子像(アシーティマハーサーワカ)を「法話を聴く坐像」として新造・安置しました。また、ラーマ3世が鋳造したウボーソットの主仏に「プラ・プッタトゥリローケート」、説法堂の主仏に「プラ・プッタセーッタムニー」の尊名を授けました。さらに、大仏殿前に浮き屋根の東屋(サーラーローイ)4棟を建てるほか、1847年の法堂建立、1858年の土壁修理、1859年の大仏殿窓の金箔貼りなど、多くの修復・増築を行いました。
ラーマ5世の大規模修復
ラーマ5世(チュラーロンコーン王)の時代、住職がソムデット・プラ・ワンラット(デーン)であった頃、1895年(仏暦2438年)以降、公共事業庁の手によって大規模な修復が実施されました。特にプラ・シー・サキャムニーを祀る大仏殿の修理が重点的に行われ、これ以降も境内各所の継続的な保全作業が続けられました。
ラーマ8世ゆかりの寺
ワット・スータットは、ラーマ8世(アーナンタマヒドン王)の「御即位にゆかりのある寺」とされています。若き王がプラ・シー・サキャムニーを参拝した際、「出家の儀はこの寺で行いたい」と述べたと伝えられます。1946年に王が急逝した後、その遺骨(王の荼毘に付した後の遺灰)がこの寺に分骨され、安置されました。
1972年から1973年にかけては、大仏殿前広場にラーマ8世記念碑の建立が王室の許可を得て実現し、アッタマラーチャーヌサワーン財団が設立されました。
歴代住職
- ソムデット・プラ・アリヤウォンサーチャーン(ウー):在任14年(1843年~1858年)
- プラ・ピモンタンマー(アン):在任19年(1858年~1877年)
- ソムデット・プラ・ワンラット(デーン・シーラワッドノー):在任23年(1877年~1900年)
- ソムデット・プラ・サンガラージャチャーオ(ペー・ティッサデーヴォ):在任44年(1900年~1944年)
- ソムデット・プラ・プッターチャーン(ソーム・チャンノー):在任16年(1946年~1962年)
- ソムデット・プラ・プッターチャーン(センギアム・チャンドシリー):在任21年(1963年~1984年)
- ソムデット・プラ・プッタコーサーチャーン(ウィーラー・パッタチャリー):在任32年(1984年~2016年)
- プラ・タムマラッタナディロック(チョード・チッタクトー):2016年~現在
建築様式と境内配置
アユタヤ様式から中国・西洋様式への融合
ワット・スータットの建築は、ラッタナコーシン初期にアユタヤ末期の美術・建築様式を受け継ぎながら、ラーマ3世の時代に中国美術の影響を取り入れた「王室様式(プララーチャニヨム)」へと発展し、さらにラーマ4世以降は西洋美術の潮流とも融合していきました。この変遷の過程が、境内の各建築物に色濃く反映されています。
仏域と僧域の明確な区分
境内は白壁(カムペーンケーオ)によって「仏域(プッターウァート)」と「僧域(サンガーウァート)」に明確に区分されており、両者は門(ズム・プラトゥー)で結ばれています。
- 仏域(北部):大仏殿(プラ・ウィハーンルアン)、回廊、ウボーソット(本堂)、サッタマハースターン、浮き屋根の東屋、土壁の堂、法堂など
- 僧域(南部):説法堂、各宗派の僧坊(クティ)、三蔵経典庫(ホー・プラ・トライピトカ)、鐘楼など
独創的な宇宙論的レイアウト(Cosmic Layout)
ワット・スータットの最も注目すべき特徴は、ラーマ3世の工匠たちが考案した「宇宙論的レイアウト」です。従来の寺院では、中央のプラーン(塔)が宇宙の中心として垂直軸上に据えられるのが一般的でしたが、ワット・スータットではこの概念を大胆に転換しました。
具体的には、大仏殿を高い基壇の上に据えて宇宙の中心とみなし、四隅に小堂(サーラー)を配して四大洲を象徴させ、周囲の回廊を宇宙の壁に見立てています。これは、クメール式寺院における「中央のプラーン=須弥山、四隅の塔=四大洲、回廊=宇宙の壁」という伝統的図式を、屋根付き建築物で置き換えたものです。大仏殿の破風(ゲーブル)には、ダオウェードゥン天界の主である帝釈天(プラ・イン)が彫刻され、この宇宙観を視覚的に表現しています。
一方、東西軸上に配置されたウボーソットは、破風の東側に太陽、西側に月が象られ、日月の軌道に沿って存在する閻浮提(ジュンブーディップ=人間界)を象徴していると解釈されています。このように、垂直軸と水平軸という二つの軸線を同一の建築群の中で完璧に調和させた点で、ワット・スータットの平面計画はタイ建築史上の傑作と評価されています。建物同士の寸法関係も緻密に計算され、三次元的な美しさと調和を実現しています。
まとめ
ワット・スッタッテープワラーラムは、ラーマ1世の発願から40年の歳月をかけて三代の王によって完成された、ラッタナコーシン時代を代表する第一級の王室寺院です。スコータイから迎えた国宝級の大仏「プラ・シー・サキャムニー」、歴代国王の信仰が込められた壮麗な建築群、そして独創的な宇宙論に基づく境内配置など、見どころは尽きません。バンコク観光の際には、ジャイアント・スイングとともにぜひ訪れたい、タイ文化の精髄が凝縮された名刹です。