考古学的発見

ウィアン・クム・カム――チェンマイ近郊に眠るランナー朝の古都

地形と概況

ウィアン・クム・カムは、幅約600メートル、長さ約850メートルの長方形をした古代都市である。市街を囲むのは城壁ではなく濠と土塁で(現在は一部が残存)、かつてのピン川の流路に沿って築かれていた。この旧流路は「ピン・ラン(下ピン川)」と呼ばれるが、その後のピン川の流路変化により、ウィアン・クム・カムは今日のように川の東側に位置するようになった。

ウィアン・クム・カムは低湿地帯にあり、毎年雨季には洪水に見舞われてきた(タイ芸術局、仏暦2534年:15頁)。過去のたび重なる洪水により多くの遺構が損傷し、土砂の下に埋没してしまった。そのため、発掘調査以前の遺跡の多くは、ただの土の塚として姿を現していたのである。

現在、ウィアン・クム・カムはチェンマイ中心部から南東へ約5キロメートル離れたサラーピー郡に位置し、住宅地や田畑、果樹園が広がる生活圏の中にある。

標高

海抜306メートル

水系

ピン川

地質条件

河川流域にあたり、完新世に砂礫が堆積して形成された土地である。

考古学的年代と文化

  • 考古学時代:歴史時代
  • 時代/文化:ランナー期
  • 考古学的年代:仏暦19世紀(西暦13世紀後半~14世紀)
  • 伝承上の年代:仏暦19世紀
  • 遺跡の種類:古代都市

遺跡の概要

タイ芸術局は1984年(仏暦2527年)からウィアン・クム・カムの発掘調査を開始し、併せて歴史資料の研究も進めてきた。その結果、伝説文書・年代記・碑文・考古学的証拠などから、この古都に関する以下のような情報が明らかになっている。

歴史的証拠

ウィアン・クム・カムの建都については、神話的な性格を持つ多くの文献に記されている。具体例としては『シンカラマリーパーコーン伝説』『チェンマイ地方伝説』『ヨーノック年代記』『十五王朝伝説』、さらにワット・プラユーンの碑文などが挙げられる。

これらの文献から、ウィアン・クム・カムが仏暦19世紀にマンラーイ王によって、チェンマイに先立って築かれた古都であることがわかる。ただし諸文献の建都年が一致しないため、正確な創建年を特定することはできない。

マンラーイ王の建都時に建立されたと伝わる宗教施設が二つある。ひとつはワット・クーカム(ワット・チェディーリアム)、もうひとつはワット・カントーム(ワット・チャーンカム/ワット・カントーム・クムカム・ピローム)である。文献上の情報は乏しいが、ワット・クーカムについてはムアンケーオ王の治世に言及が見られる。

マンラーイ王がチェンマイへ遷都した後も、ウィアン・クム・カムはチェンマイの前哨基地として機能し続けた。しかし仏暦23世紀(西暦17世紀末~18世紀)頃には歴史文書からその名が消え、この時期に一時放棄された都市となったと推測される。

一方、仏暦24世紀(西暦18世紀末~19世紀)の『チェンマイ地方伝説』には、ウィアン・クム・カムの隣に「ターワンタン」という地名が登場することから、この時期に再び利用されるようになった可能性がある。その後、仏暦25世紀(西暦19世紀末~20世紀)のラーマ5世治世下での集落形成や、域内の数多くの遺構修復へと受け継がれていった。

考古学的証拠

ウィアン・クム・カムの地には、都市建設以前から人が暮らしていた痕跡がある。それはハリプンチャイ文化(仏暦18世紀以降)に属する小規模なコミュニティであり、ワット・カントーム(現在のワット・カントーム・クムカム・ピローム)からは、モン文字の石碑、後に同寺のヴィハーラ(仏堂)で覆われた遺構、テラコッタをはじめとするハリプンチャイ美術の遺物などが出土している。これらの考古学的証拠は、宗教的伝説の内容とも整合している。

さらに考古学的証拠からは、マンラーイ王のチェンマイ遷都後もウィアン・クム・カムが重要な都市であり続けたことが確認できる。大洪水を経験しても放棄されることはなく、仏暦23世紀まで建設と改修の痕跡が継続的に認められるのである。

年代決定

歴史文献と考古学的証拠の両面から、ウィアン・クム・カムは仏暦19世紀に建設されたと考えられる。それ以前の仏暦18世紀にはハリプンチャイ文化の小規模なコミュニティが存在し、建都以降は仏暦23世紀まで使用が続いた後、一時的に放棄されたものとみられる。

関連する地方伝説

  1. 『シンカラマリーパーコーン伝説』:マンラーイ王が小暦(チュラサカラート)665年=仏暦1847年(西暦1304年頃)にクムカムの町を築いたと記す。
  2. 『マンラーイ伝説』:「…次いでパヤー・マンラーイはクムカムに出向き、家屋敷が3区画あった。ひとつはバーン・クラン、ひとつはバーン・ルム、ひとつはバーン・ヘムと呼ばれた…」と伝える。
  3. 『チェンマイ地方伝説』:パヤー・マンラーイがウィアン・クム・カムを築いたのは小暦648年=仏暦1830年(西暦1287年頃)と記す。
  4. 『年代記 第61篇』:パヤー・マンラーイがウィアン・クム・カムを建てたのは小建てたのは小暦648年=仏暦1830年(西暦1287年頃)と記す。
  5. 『ヨーノック年代記』:パヤー・マンラーイがウィアン・クム・カムを築いたのは小暦648年=仏暦1830年(西暦1287年頃)と記す。
  6. 『十五王朝伝説』(プレー県ワット・メータンガラワート所蔵、西暦1889年写本):ワット・カントーム周辺に、ウィアン・クム・カム成立以前から人が住んでいたコミュニティがあったと記す。

関連する碑文

ワット・プラユーンの碑文には、第1面31行目に「クムカム」の名が現れる。そこには、ハリプンチャイ、ウィアン・クム・カム、チェンマイの人々が信仰心をもって参列し、ソーマテーラへ僧院を寄進する式典が執り行われたことが記されている。


執筆:チャイワット・シリサムスワン