地形
山岳地帯。
概況
ドイ・ステープへ至る道路が最初に建設された当時は、全長11.530キロメートルの砂利道で、道幅は狭く、雨天時には滑りやすく、電気も通っていなかった。山麓の集落は自然と調和して営まれ、人々と寺院は密接な関係を保ち、毎日のように功徳を積む儀式(タンブン)が行われていた。当時、ドイ・ステープへ登る人々の目的はもっぱら功徳を積むことにあった。しかし、道路が舗装され、電線が地域に引き込まれて交通の便が向上すると、登山の目的は次第に変化し、観光へと移っていった(Anunnak 2010: 42)。
現在、ドイ・ステープへ上る道路は国道1004号線で、アスファルトコンクリート舗装の4車線道路である。ドイ・ステープを越えてプーピン・ラーチャニウェート宮殿(国王の冬の離宮)に至る総延長は16.277キロメートルに及び、チェンマイ市街からは約6キロメートルの距離にある。
標高
海抜370~1,050メートル。
水系
ピン川。
地質
チェンマイ盆地の地質はきわめて多様である。6億年以上前にさかのぼる火成岩・火山岩・変成岩および各時代の堆積岩といった複雑な岩相から、現在の盆地中央平野を覆う約1万~2万年前の未固結の砂岩性堆積物まで含まれる。この平野部の大部分は、今日では農地や住宅地として利用されている(Saraswati Ongsakul 2000: 2-3)。
考古学的時代
歴史時代。
時代/文化
ラッタナコーシン期(チャクリー王朝期)。
考古学的年代
仏暦25世紀(西暦1934~1935年頃)。
遺跡の種類
道路。
考古学的意義
考古学調査の結果、古来、ドイ・ステープへ上る道には次の3つのルートがあったことが明らかになっている。
1. ファイ・ウモン・ルート
クーナ王の治世、あるいはそれ以前から使用されていたと考えられる最古の参道。ワット・ウモンを起点とし、シリウィチャイ通り沿いの古代遺構、ファイ・ウモン沿いの遺跡、サン・ルイ教会付近の遺跡などを経由する。これらの遺跡はプラタート・ドイ・ステープの衛星寺院であり、山上の仏塔への参拝途上の宿泊所として機能していたと推定される。
2. 坂道(パーラート)ルート
少なくともクーナ王の時代にはすでに存在し、特にパヤー・サムファンケーンの時代に盛んに利用されたとみられる。パヤー・サイルータイがウィアン・チェットリンに赴き、パーラートを経由したと伝えられることから、この時代の重要な経路であった。このルートにはワット・パーラート、サンヨート古寺、ワット・トンナンの遺跡などが含まれる。
3. クン・チャーン・キアン・ルート
尾根ごとに2つの古代遺構が確認されており、北側、すなわちメーリム郡方面から登る参詣者のために設けられた、プラタート・ドイ・ステープの衛星寺院であったと推定される。
また、シリウィチャイ通りはクルーバー・シリウィチャイの時代に開かれた新しい道であり、沿道には功徳を積むため、また旅の途中の休息・宿泊の場として、墓地(埋葬跡)、ワット・アナカミー・モン・パヤーホン、天文台付近の遺跡、レンガ製造跡などの遺構が築かれた(Anunnak Limited Partnership 2010: 187-189)。
道路建設の歴史
ドイ・ステープへの道路は、1934年11月9日に起工された。ラーンナーの聖者と仰がれる高僧クルーバー・シリウィチャイが僧侶側の代表を務め、チェンマイの領主チャオ・ケーオ・ナワラットが世俗側の代表を担った(Buppha Khunyosying 1999: 4427)。工事は、現在のチェンマイ動物園の正面、フアイ・ケーオ滝付近から掘削が始まった。
道路建設の知らせが広まると、クルーバー・シリウィチャイを篤く信仰するタイ北部の人々が続々と駆けつけ、必要な人員をはるかに超える規模で工事が進んだ。そこでクルーバー・シリウィチャイは、村ごとの担当区間を当初10ワー(約20メートル)と定めたが、後に2~3ワー(約4~6メートル)へと縮小したという(Prawit Tantalanukul 1999: 29-30)。
こうしてドイ・ステープへの道は1935年4月に完成した。全長約11キロメートル、工期は5ヶ月22日であった(Buppha Khunyosying 1999: 4427)。