考古学的発見

ワット・マハタート(ペッチャブーン)――ペッチャブーンの人々の信仰の中心

ワット・マハタートとは

ワット・マハタートは、タイ中部ペッチャブーン県ムアン・ペッチャブーン郡にある重要な仏教寺院です。市街地内の平坦な土地に建ち、交通の便も良好で、県を挙げての宗教行事の会場として利用されてきました。長い歴史の中で育まれた信仰は今も色褪せることなく、この寺はペッチャブーンの人々の心と仏教信仰の中心であり続けています。

立地と自然環境

寺院のそばにはパーサック川が流れています。一帯はチャオプラヤー川水系に属し、ペッチャブーン山脈の東麓にあたる丘陵性の地形です。後世の浸食や地盤の圧力によって高低差のある起伏が随所に生まれ、山麓部には砂岩・石灰岩・頁岩・礫・火成岩などが混じった薄い土壌が広がっています。低い丘と平野が交互に連なりながら、やがてパーサック川の流域へと続いていく景観が特徴です。

歴史と沿革

ワット・マハタートの由緒を知る貴重な手がかりとなるのが、1967年にタイ芸術省が実施した発掘調査です。プーカオビンの仏塔(チェーディー)地下から出土した金板の銘文(全3枚、うち1枚に関連の記述)によれば、この寺は仏暦1926年(西暦1383年頃)にペッチャブーンの領主プラヤー・ペッチャブーンによって建立されました。建立後も歴代の領主によって絶えず手入れが施されてきたと考えられています。

トンブリー王朝期には、ピッサヌルーク方面でビルマ軍と戦うにあたり、チャオプラヤー・チャクリー(後のラーマ1世、チュラーローク大王)とチャオプラヤー・スラシー(ボーウォーン・マハー・スラシーハナート公)が軍勢を率いてペッチャブーンに入り、ワット・マハタートで勝利祈願の祭祀を行ったと伝えられます。その一方で、官憲が囚人の処刑の場としてこの寺を使用した時期があったことも記録に残っています。

さらに、ダムローン・ラーチャーヌパープ公は、戴冠式のあった1904年頃にペッチャブーンへ滞在した折、当時の領主プラヤー・ペッチャラート(フアン)に対し、民衆を動員してこの寺を改修するよう命じました。また1910年頃には、ペッチャブーンの領主がモン池(現在はほぼ干上がっている)の水を携え、ワット・マハタートで執り行われる儀式に参列したという記録もあります。

境内のみどころ

境内には見どころが数多くあります。まず挙げられるのが煉瓦造りの仏塔です。鐘形部より上は完全に崩壊していましたが、1967年に改修工事が行われ、仏舎利や阿羅漢の遺骨を納める堂々たる姿によみがえりました。塔内には仏像・護符・版木などが安置されています。ほかにもアユタヤ美術の影響を受けた2基の仏塔や、古代クメール文字が刻まれた砂岩製のセーマー石(現在は市柱祠に移管)などが知られています。

特筆すべきは2体の青銅製降魔成道仏です。1体目はその優美な姿から「ルアン・ポー・ガム(美しき御尊顔)」と呼ばれ、初期アユタヤ様式のウートーン様式第3期の作、幅36インチで礼拝堂に安置されています。2体目は「ルアン・ポー・ペットミーチャイ」で、膝幅36インチ。かつて村人たちからは「ワット・マハタートのルアン・ポー」と親しまれていました。寺と同じく1926年頃の作とみられ、後にトンブリー王朝期にビルマ軍討伐の総大将としてピッサヌルークを包囲したチャオプラヤー・チャクリーの言葉にちなみ、「ペットミーチャイ(勝利をもたらす者)」と改称されたといわれています。

このほか境内には、高床式の木造説法亭や、布教・教学のための二階建ての僧房なども残されています。

寺格と現在

ワット・マハタートは当初、正式な戒場の指定であるウィスンカーム・シーマーを認められ、旧境石には砂岩が用いられていました。その後、1953年2月13日に新たなウィスンカーム・シーマーが認可され、1954年に新しく結界が定められました。現在はタイ国第三級王室寺院(一般型)に列せられる由緒ある寺院です。

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