考古学的発見

ハーレド・アサード――文化遺産を守り抜き殉教したパルミラの考古学者

2015年8月中旬、シリア・パルミラ遺跡の考古学局元局長ハーレド・アサード(ハーレド・アル=アサード)氏が、過激派組織「ダーイシュ(ISIL)」によって凄惨な手段で殺害されました。同年8月、フランスの考古学者ジャン=バティスト・ヨン氏は、長年の同僚であった故人への追悼の証言を寄せています。パルミラ解放の節目にあたり、ここにその証言を改めて紹介します。

ハーレド・アサード――文化遺産を守り抜き殉教したパルミラの考古学者

ハーレド・アサード氏(1932年~2015年)。パルミラ考古学局および博物館の元局長。享年83歳。

パルミラを守り抜いた考古学者への追悼

ジャン=バティスト・ヨン氏は、リヨン第2大学「東洋と地中海の家」付属HISoMA研究所(古代世界史研究室)に所属するフランスの考古学者・碑文学者であり、シリア東部に位置する壮麗なギリシャ・ローマ時代の遺跡パルミラで長年にわたり調査を行ってきました。2015年8月18日、ダーイシュの手によって忌まわしい形で命を落としたハーレド・アサード氏(当時83歳)の暗殺、古代神殿の破壊、そして文物の密売について、同氏が証言しました。ユネスコのイリナ・ボコヴァ事務局長もまた、これらの行為を戦争犯罪として強く非難しています。

ハーレド・アサード氏との出会い

質問:ハーレド・アサード氏は1963年からパルミラの考古学行政を率いてきました。ダーイシュの戦闘員らに約1か月間拘束された後、2015年8月18日、パルミラにおいて公開の場で殺害されました。あなたは長年、彼とともに仕事をしてきましたね。どのように知り合ったのですか?

ジャン=バティスト・ヨン:初めてお会いしたのは1996年のことです。私は博士論文の研究のため、西暦最初の数世紀におけるパルミラ社会を調査するためにシリアを訪れていました。ハーレド・アサード氏は、古代都市の石に刻まれたギリシャ語やラテン語の碑文を探し出す作業を、すぐに手伝ってくれました。その後、2003年に彼が引退するまで一緒に仕事を続けました。引退後も彼は頻繁にパルミラ博物館へ足を運んでいたため、定期的に顔を合わせることができました。共著の最後の論文は2012年に発表したものです。

最近の消息は?

質問:最近まで彼と連絡は取れていましたか?

私がシリアに入国できたのは2010年までです。それ以降は現地を訪れることが不可能になりました。近年のやり取りの相手としては、主にハーレド・アサード氏の息子と連絡を取っていました。実は息子のワリード・アサード氏が父の後を継ぎ、パルミラの考古学責任者の地位に就いていたのです。しかし、シリアの情勢を考慮して、最後のやり取りはごく短いものにとどまりました。安全上の理由から、詳細には立ち入りませんでした。

何が起きていたのか、どうやって知ったのか

質問:現地で何が起きていたか、あなたは何を知っていますか?また、どうやってその情報を得たのですか?

まずノルウェーの同僚からの短い電話で、ハーレド・アサード氏の失踪を知りました。しかし、彼がどれほど忌まわしい状況で命を奪われたのか【編集注:斬首された後、遺体は公開の場にさらされました】を知ったのは、翌朝のことでした。同時に、息子がなんとか町を脱出することに成功したことも知りました。現在、現地から情報を入手することはほぼ不可能です。パルミラ住民の生活環境は極めて劣悪で、直接連絡を取ることはできません。電力はほとんど供給されておらず、電話はおろかインターネットなど望むべくもありません。無事を伝えるためには――それ自体が大きな危険を伴いますが――町を出て特定の場所まで移動しなければならないのです。

なぜ彼は狙われたのか

質問:なぜダーイシュはハーレド・アサード氏を標的にしたのでしょうか?

第一に、ハーレド・アサード氏はパルミラとシリア考古学界を象徴する人物でした。加えて、彼は現地の非常に大きな一族に属していました。キャリアを積んできた多くのシリア官僚と同じように、ダーイシュのイスラム主義者たちの目には、彼が何よりもダマスカス政権と深いつながりを持つ存在に映ったのです。【編集注:遺体に結ばれた手書きの札には、バッシャール・アル=アサド政権(アラウィ派)を支えるバアス党への忠誠を非難する文言が記されていました】。この殺害は、パルミラにおいていかなる抵抗も許さないという警告だったのです。

隠された彫像を守り抜いて死んだ男

質問:ハーレド・アサード氏は数十年にわたりパルミラの考古学的至宝を研究してきました。複数の証言によれば、彼は市内の彫像群の隠し場所を明かすことを拒否したために殺されたといわれています。それはどのような文物だったのですか?

1930年代以降、パルミラでは数多くの考古学的発見がありました。それに伴い、現地には重要な博物館も建設されました。さらに近年では、古代都市周辺で多数の彫刻を備えた墳墓が次々と発掘され、とりわけ見事な葬祭用胸像が出土しました。博物館に展示されている品々や収蔵庫に保管されていた品々に加え、こうした作品すべてが保護措置のもとに置かれました。大小数千点に及ぶ文物や彫刻を、何としても守り抜かなければなりませんでした。そしてこの避難作業は、2015年5月20日に町が陥落しダーイシュが進駐する直前の最後の瞬間まで続けられたのです。

なぜダーイシュは文化遺産を狙うのか

質問:暗殺からわずか数日後、ダーイシュは西暦1世紀に建立された聖域バールシャーミン神殿を爆破解体し、8月30日(日)にはベール神殿をも破壊しました。なぜダーイシュはこれほどまでに遺産を標的にするのでしょうか?

この集団のプロパガンダ能力は非常に高いのです。忘れてはならないのは、そのメッセージは現地の住民にも向けられているということです。現地から聞いた話によると、ダーイシュがパルミラの人々に示す理屈はこうです。「政府軍がある場所を爆撃して100人が死んでも、誰も気にかけない。だが我々は像を一つ爆破するだけで、世界中の見出しを飾ることができる」と。

文物密売という資金源

質問:同時に、ダーイシュは文物によって富を蓄えているようにも見えます。米国ではFBIが潜在的な買い手に対して警告を発したばかりです。現在同地域で行われている密売について、何かご存じのことはありますか?

実際に何が起きているのかを把握するのは極めて困難です。さまざまな噂が飛び交ってはいますが。確かな情報源の一つは、シリア考古学省からの警報です。例えば、一部の文物がレバノンで発見されたことが分かっています。トルコ国境も非常に出入りしやすい状態です。しかし同時に覚えておくべきなのは、2010年以降、ダーイシュの到来以前からすでに、政権軍の支配下にあったパルミラでも考古学品の窃盗が報告されていたということです。もちろん、その規模は、テロ組織*の資金源となっていることが知られる現在の略奪や密売とは比べ物にならないほど小さいものです。目の当たりにしているすべてのことに、私は愕然としています。ハーレド・アサード氏が町を脱出していることを願っていました。彼はその場にとどまることで、計り知れない危険を冒していたのです。本人が十分に承知していた危険です。このすべてが、本当に痛ましいことです。

* ワシントン研究所の専門家マシュー・レヴィット氏は中東のテロ組織の資金調達を長年分析してきた人物ですが、その分析によれば、石油収入が有志連合の空爆によって減少する中、文物の密売がこれらの組織にとって第二の収入源になり得るといわれています。シリア出土の文物が、ロンドンの骨董品市場にますます姿を見せているとも指摘されています。

あわせてご覧ください

1901年から1939年にかけてのフランス考古学ミッションによるパルミラの写真2000点以上が公開されています。これは、フランス近東研究所(Ifpo)の考古学フォトライブラリーおよびMédiHALアーカイブの一部がオンライン化されたものです。

シリアの都市パルミラ

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