考古学的発見

フランス最古のイスラム教徒の墓3基、ニームで発見

メッカを向いた遺体――中世初期の南仏に残された最初の物的証拠

横向きに安置され、頭がメッカの方角を向いた3体の人骨。これらの埋葬は、中世初期にフランス南部にイスラム教徒の共同体が存在していたことを示す、最初の物的証拠となっています。

フランス最古のイスラム教徒の墓3基、ニームで発見

国立予防考古学研究所(Inrap)の発掘調査で判明

この発見をもたらしたのは、国立予防考古学研究所(Inrap)による発掘調査です。調査は、ニームのジャン・ジョレス大通りで地下駐車場を建設する前に実施されました。考古学者たちは、古代の住宅地区と約20基の埋葬跡を発掘。その中でも特に注目を集めたのが3基の墓で、明らかにイスラム教の埋葬儀礼が見られるものでした。3人の男性の遺体はいずれも横向きに安置され、頭はメッカの方角を向いていました。

「8世紀にイスラム教徒がフランスに来ていたことは分かっていましたが、これまで彼らの足跡を示す物的な痕跡はありませんでした」と、学術誌『PLOS ONE』に発表された研究の筆頭著者である同研究所の人類学者イヴ・グレーズ氏はAFPに語ります。「貨幣や陶器の破片など、商業交流の痕跡はいくつかありましたが、それ以上のものはありませんでした」。この点で、フランスの状況は、何世紀にもわたりアラブ勢力の支配下にあったイベリア半島とは大きく異なっています。

北アフリカ出身のウマイヤ朝軍のベルベル人兵士か

AFPによると、歯と骨から採取されたDNAの分析結果から、3人は北アフリカ出身であることが示されました。年齢はそれぞれ、1人が20〜29歳、もう1人が30歳前後、3人目は50歳以上。外傷の痕跡はありませんでした。

「3人の個体に対して複数の放射性炭素年代測定を実施した結果、その時代は紀元7世紀から9世紀の間であることが特定できました」とInrapはプレスリリースで述べています。これまでフランスで最古のイスラム教徒の墓とされていたのは、マルセイユで発見された13世紀のもの。モンペリエでの別の発見例も12世紀にさかのぼる可能性がありました。

「これらすべてのデータから、ニームの墓で発見された人骨は、8世紀の北アフリカにおけるアラブ勢力拡大の際にウマイヤ朝軍に加わったベルベル人兵士のものである可能性が示唆されます」とInrapは続けています。

イスラム教徒とキリスト教徒の共存

研究者らによると、3人の人骨の母系・父系の遺伝的系統は、現代のフランス人口では比較的まれなものだといいます。イベリア半島やイタリアと比べると、フランスにおけるアラブ支配の遺伝的な影響ははるかに小さいことが分かります。

イヴ・グレーズ氏は、「ニームで発見された中世初期の埋葬に関する考古学的・人類学的・遺伝学的分析は、8世紀にフランス南部でイスラム勢力が存在していたことの物的証拠を提供するものだ」と述べています。ただし、これらの手がかりだけでは、こうした共同体の規模がどの程度だったのかを知ることはできません。719年から752年の間にニームにイスラム教徒が存在したことは古代の文献にも記録されていますが、彼らが長く留まることはありませんでした。

人類学者たちの推測によれば、シャルル・マルテルはポワティエの戦いでサラセン人に決定的な勝利を収めた5年後の737年にこの街を掌握し、イスラム教徒の保護を受け入れた住民への懲罰として、街を破壊した可能性があるといいます。

こうしたイスラム教徒が先住民と共存していた可能性を示す兆候として、3基の墓は比較的キリスト教徒の埋葬の近くに位置していました。さらに研究者らが指摘するように、これらすべての墓は、都市共同体の範囲を画定していたローマ時代の城壁の内側にありました。中世初期に一時ムスリムの支配下に置かれたナルボンヌでは、地元の人々が自らの法律と伝統を守れることと引き換えに、一種の保護を受け入れていた可能性があるという仮説を唱えた歴史家もいます。イヴ・グレーズ氏によれば、ニームでの埋葬の発見は、中世初期におけるイスラム教徒とキリスト教徒の共同体の関係が、より複雑なものであったというこの仮説を裏付けるもののようです。

OL with AFP(AFPとの共同記事)