2020年夏、フランス・ソーヌ=エ=ロワール県オータン(古代ローマ時代のアウグストドゥヌム)で実施された発掘調査により、ガリア地方最初期のキリスト教徒のものであった可能性を示唆する、数々の例外的な遺物が出土しました。中でも、極めて稀なガラス容器が大きな注目を集めています。

石棺から出土した彫刻ガラスのディアトレタ(籠状ガラス)容器のクローズアップ
「賛歌(ラウデス・ドミニ)」は、ローマ属州ガリアにおける最古のキリスト教詩として知られています。オータンの名士によって書かれたこの詩は、墓地で起こったとされる奇跡を描いていました。我々は今、その伝説の舞台となった場所を突き止めたのかもしれません。
2020年6月から9月にかけて、国立予防考古学研究所(Inrap)のチームは、オータン市内の私有地1,350平方メートルにおいて発掘調査を実施しました。この土地には、3世紀半ばから5世紀半ばまで、すなわち古代末期にあたる時期に使用されたネクロポリス(墓域)が広がっており、場所はヨーロッパ最古級の初期キリスト教会であるサン=ピエール=レストリエ教会の近くに位置しています。
豪華な副葬品を伴う被葬者たち
発掘された墓は231基以上にのぼり、多様な埋葬様式が混在するこの墓域は、考古学者たちの関心を引きつけてやみません。木棺(釘のみが残っているものもあります)のほか、土の重みで潰れた鉛製石棺や砂岩製の棺も見つかりました。ある墓では、鉛製の棺が砂岩製の棺に嵌め込まれた二重構造が確認され、研究者たちは保存状態の良い遺体と副葬品への期待を膨らませました。しかし残念ながら、内側の棺を開けると、骨は泥に浸かっていたのです。

鉛棺から発見された人骨の頭蓋骨の発掘作業。クレジット:Christophe Fouquin/Inrap
それでもこの発掘は、古代末期に関心を持つ者にとって近年最大級の発見といえます。遺骨の全容解明は現時点で困難ですが、専門家たちは、被葬者がオータンの名士階級であったと確信しています。一部の墓から出土した希少で貴重な品々が、高い社会的地位の明確な証となっているからです。
金糸の痕跡は、原始キリスト教的図像を想起させる豪華な織物の存在を物語ります。例えばラヴェンナのサン・ヴィターレ聖堂のモザイク画では、皇后テオドラを取り囲む人物たちが金糸を縫い込んだ衣装を身につけています。また、子供の墓からはジェット(煤玉)製のブレスレットと金製イヤリング、ザクロ石(ガーネット)をあしらった小さな指輪、さらには驚くべきことに「極めて純粋」な琥珀(コハク)製の簪の一式が見つかりました。Inrapの考古学者で調査副責任者のニコラ・ティスラン氏は、この琥珀製品について「ローマ世界に類を見ない」と断言しています。

子供または青年の墓から出土したガーネットをあしらった金の指輪。クレジット:Denis Gliskman/Inrap
ガラス工芸の傑作
そして何よりも注目すべきは、「ディアトレタ」と呼ばれる籠状ガラス(ケージド・グラス)の容器です。ローマにおけるガラス技術の最高峰とされるこの器は、一種の籠のような構造に収められた装飾ガラス容器を指します。この種の器の天才的な特徴は、レースのように精緻なガラスの籠が、ガラス本体そのものから彫り出されている点にあります。
このような例は世界でも15点ほどしか発見されておらず、最後に完全な状態で見つかったのは1970年代、北マケドニアでのことでした。オータンの16号墓から出土したこの作品は、発掘現場に立ち会った古代末期専門の考古学者ミシェル・カスプシク氏によれば、「ガリアで初めて発見された例」だといいます。高さ12cm、直径16cmのこの器は、彫刻された装飾モチーフが施され、浮き彫りの文字で「Vivas feliciter(幸せな人生を送れ)」という言葉が刻まれています。大規模な修復が必要ですが、奇跡的に完全な形で残っていました。

ディアトレタ容器の環境馴化のための開梱作業。適切な湿度を維持し、器を劣化から守るための工程。クレジット:Christophe Fouquin/Inrap
「これらすべては、私たちが長年知ってきた事実を裏付けています。古代末期初期のオータンの貴族階級は重要で裕福でしたが、これまでは文献からしか知られていませんでした。彼らは当時の皇帝たちと極めて緊密な関係を保っており、コンスタンティウス帝とコンスタンティヌス帝の帝国行政には、複数のオータン出身者が名を連ねていたのです」とカスプシク氏は語ります。

43号石棺の被葬者の足元で見つかった琥珀製の簪。ローマ世界にほとんど類例のない例外的な一式。クレジット:Denis Gliskman/Inrap
出土した遺骨だけでは被葬者の宗教的帰属を直接証明できませんが、考古学者たちは、このネクロポリスがオータン最初のキリスト教共同体の埋葬を受け入れていた、すなわちガリア最古級のキリスト教徒たちの墓域であったと確信しています。
その決め手となるのが、ガリアにおけるキリスト教最古の文書の一つとして名高いペクトリオス碑文が、19世紀にこの墓域のすぐ近くで発見されていたという事実なのです。