考古学的発見

【動画】カミーユの歴史コラム:ローマの「乱交パーティー」の真実

一般に想像されるような退廃的で豪奢なローマの乱交パーティー(オルギー)は、実は決して日常的なものではなく、ごく例外的な出来事だった。むしろ質素な生活を送っていた古代ローマの人々は、キリスト教徒に先立つ「ピューリタン」だったのである。

【動画】カミーユの歴史コラム:ローマの「乱交パーティー」の真実

ローマの乱交パーティーは確かに実在した。しかし、それは社会のごく一部に限られた、周辺的な現象にすぎなかったのだ。

【Cジャミー】カミーユ・ゴベールによるこのコラムは、ジャミー・グルモーが司会を務めるフランス5局の番組「Cジャミー」内で、月曜から金曜の午後5時より毎日放送されている。

世間一般に流布しているイメージとは裏腹に、ローマの乱交パーティーは決して日常茶飯事のものではなく、ローマ帝国の実態はむしろその「質素さ」こそが特徴だったのである。

ローマの乱交パーティーの真実

「皇帝による乱行は常に非難の対象となってきたが、それは特定の皇帝の時代に限られたもので、関わっていたのは人口のごく一部にすぎない」と、ロレーヌ大学の古代史学教授クリスチャン=ジョルジュ・シュヴェンツェルは『ザ・カンヴァセーション(The Conversation)』誌で説明する。「人口の大多数は、主に野菜と穀物——粥やパンケーキの形で——、あるいはイチジク、桃、ブドウといった果物を食べていた。つまり、きわめて菜食中心の食生活が主流だったのだ」

ローマ人がピューリタニズムを発明していた?

歴史家ポール・ヴェーヌによれば、ローマ人はなんとキリスト教徒に先んじてピューリタニズムを発明したという。ピューリタニズムとは、「夫婦は神夫婦は神聖なものであり、性行為は子孫を残すためだけに正当化される」という考え方のことだ。

紀元前1世紀に遡ると、ローマの結婚はかなり自由で気楽なものであった。ただしここで語るのは、あくまでも富裕層や市民階級の結婚の話である。下層民や奴隷にとって結婚自体は役に立つ制度ではあったが、彼らの暮らしは上流社会の「お作法」とは無縁だった。当時、結婚は私的な行為であり、親しい友人を少しばかり招いて行う程度の、ささやかな儀式だった。離婚も同じで、女性も男性もいつでも離婚を申し出ることができた。それほど手続きが簡単だったため、時には相手側に何も知らせぬまま婚姻関係が解消されてしまうことさえあったという!

慣習から道徳的制度へ

当時のローマにおける結婚は、あくまで一つの慣習にすぎなかった。子供をもうけるためのものでも、財産を相続させるためのものでもなかった。そもそも当時は、相続人を養子として迎えることがごく普通に行われていたからだ。したがって、夫婦がそれぞれ結婚生活の外で恋愛関係を持つことも十分にあり得た。男性奴隷や女性奴隷と……いや、待ってほしい。もちろん、それが許されていたのは男性だけである!

それからわずか2世紀余り後の西暦161年、ストア派の哲学者として知られるマルクス・アウレリウスが皇帝の座に就く。ぶどう酒と子豚を囲んでの宴のように気ままに終わる、ヒッピー的な結婚の時代は終わりを告げた。代わって訪れたのは一夫一婦制の結合である。妻に対して貞節を装わなければならず、肌を露わにするのは子作りのときだけで、当然ながら養子縁組も中絶も御法度となった。こうして夫婦は「道徳的な制度」へと変貌を遂げ、この概念はたちまちイエス・キリストの信奉者たち、すなわちキリスト教徒たちに受け入れられていくのである。