考古学的発見

バイエルン州アウグスブルクで発見された本物のローマの宝物――銀貨5600枚が明かす古代都市の姿

2021年6月以来、ドイツ・バイエルン州アウグスブルク市の考古学者たちは喜びに包まれている。古い川床で行われた発掘調査から、ローマ時代の銀貨や貴重な遺物が多数出土し、古代ラエティア属州の首都としてのこの街の重要性を裏付ける成果となったのだ。

バイエルン州アウグスブルクで発見された本物のローマの宝物――銀貨5600枚が明かす古代都市の姿

アウグスブルク市の考古学チームは、西暦1世紀から2世紀にかけて鋳造されたローマ銀貨デナリウス約5600枚を発見した。

バイエルン史上最大級、銀貨約5600枚の発見

2021年10月末、南ドイツ・アウグスブルク市考古局は、ローマ時代の銀貨に関する重要な発見を公表した。同じ遺跡での事前発掘調査から貨幣や貴重品が相次いで出土したのは数ヶ月で2度目であり、この街の起源となったローマ軍営とともに、古代ラエティア属州の首都としての重要性を証明するものである。これによりアウグスブルクは、「バイエルン最古の都市」の称号を主張するうえで有利な立場に立つこととなった。

今回見つかった銀貨は総重量約15kg、約5600枚に及び、バイエルン州でこれまでに行われた銀貨の発見としては最大規模である。西暦1〜2世紀に鋳造されたもので、皇帝ネロ(在位54〜68年)からセプティミウス・セウェルス(200年頃以降)まで、幅広い時代のローマ皇帝が刻まれている。大半はトラヤヌス(53〜117年)、ハドリアヌス(76〜138年)、アントニヌス・ピウス(86〜161年)、マルクス・アウレリウス(121〜180年)の肖像を有するが、なかには珍しいものも混じっている。例えば、わずか2ヶ月で権力の座から転落し暗殺されたディディウス・ユリアヌス(133〜193年)の肖像をあしらった銀貨などだ。

「極めて稀で壮観な発見ですが、比類無いというわけではありません」と、記者会見でアウグスブルク市主任考古学者のゼバスティアン・ガイアホスは認めた。1993年にトリーアで発見された2600枚の金貨からなる宝物の方がはるかに価値が高いという。当時、金貨(アウレウス)1枚はローマ銀貨(デナリウス)25枚分の価値を持っていたからである。

すでに400kgの遺物が出土

同じ遺跡の約200メートル離れた地点では、2021年6月にすでに400kgもの遺物が発見されていた。腐食しているとはいえ、その質の高さがうかがえる品々である。断片で見つかったものもあれば、ほぼ完全な形で残っていたものもあり、武器、道具、器具、食器、容器のほか、装身具、そして800枚以上の貨幣が含まれていた。記者会見ではその価値を示すため、いくつかの遺物が公開された。イタリアや南フランス産の青銅器・陶器・ガラス製食器、三日月形の取っ手に太陽神の胸像をいただいた青銅の油ランプ、昆虫が彫り込まれた銀製ブローチ、馬車の車輪の鉄製タイヤ、そして荷役用・乗用動物の馬具に付けられていたとみられる数多くの護符や鈴などである。

バイエルン州アウグスブルクで発見された本物のローマの宝物――銀貨5600枚が明かす古代都市の姿

完全な形で残されていた青銅製の油ランプ © Monika Harrer / Kunstsammlungen & Museen Augsburg

旧ヴェルタハ川河床の砂利採掘場に眠っていた

デナリウス銀貨を含むこれらの遺物はすべて、アウグスブルクを流れるヴェルタハ川の旧河床から数千立方メートルに及ぶ砂利をふるいにかけて見つかったものである。ガイアホス氏によれば、考古学者たちは、この宝物は西暦3世紀初めにここへ埋められ、その後数世紀を経てヴェルタハ川の氾濫によって隠し場所ごと押し流され、貨幣が砂利の中に散らばったと推測している。

実は1913年、この場所が砂利採掘場として利用されていた際にもローマ時代の遺物が出土していた。おそらくアルプス前山地域征服(紀元前15年)以降の時代のものであるが、出土状況が十分に記録されておらず、有意義な結論を導き出すことはできなかった。その後、工場の建設により、考古学者たちはこの場所(現在はアウグスブルク北西部のオーバーハウゼン地区)での調査を断念せざるを得なかった。工場が解体され、調査を再開できるまでには1世紀以上の歳月を要したのである。そして今回の発見によって、この地にローマ軍営が置かれていたことが確認された。

バイエルン州アウグスブルクで発見された本物のローマの宝物――銀貨5600枚が明かす古代都市の姿

オーバーハウゼンの砂利採掘場はヴェルタハ川の旧河床にあたる © Monika Harrer / Kunstsammlungen & Museen Augsburg

ローマ軍営と都市アウグスタ・ウィンデリクム

近年出土した年代を特定できる遺物――貨幣や輸入陶器――が示すように、アウグスブルクの最初の基盤はまさにオーバーハウゼン地区にあり、そこには新しく征服されたアルプス前山地域のヴェルタハ川沿いに建設されたローマ軍営があった。その建設は紀元前8年から5年にかけて、初代皇帝アウグストゥス(紀元前63年〜14年)の治世中のことである。その約20年後(西暦10年頃)、この軍営は洪水で破壊され、代わりにさらに南の、ヴェルタハ川とレヒ川にはさまれた高台――現在のアウグスブルク旧市街、聖シュテファン修道院の庭園付近――に、面積10ヘクタール超、兵員3000人を擁する新たな軍事基地が設けられた。この巨大な軍営を取り囲むように、1世紀を通じて民間人の入植地が急速に発展していった。この街は、当地に最初のローマ軍事拠点が築かれた皇帝にちなんで「アウグスタ・ウィンデリクム」の名を得た。やがてこの都市は、それまでケンプテン(古代名カンボドゥヌム)が担っていた役割に取って代わり、ローマ属州ラエティアの首都となったのである。

アウグスブルクはおそらくバイエルン最古の都市

これらの発見は、バイエルン地方最初のローマ軍事拠点がアウグスブルクの街の起源であることを証明するものであり、伝統的にケンプテンと「州最古の都市」の座を争ってきたアウグスブルクにとって追い風となる。興味深いことに、最初の住人たちの出身はきわめて多様だった。将校や軍団兵はイタリアのほか、スペイン、北アフリカ、南フランスから、騎兵はガリアやライン川下流域からやって来た。一方、入植地に暮らす女性たちは、アルプス前山地域、すなわち今日のスイス北部にあたる土地の出身であったことは間違いないという。

軍団兵の給料11年分に相当する大金

アウグスブルクの考古学者たちによる解明が進む一方で、依然として答えの出ていない疑問も残る。10月に見つかった5600枚の銀貨は誰のものだったのか。また、軍団兵の給料およそ11年分に相当するこの巨額の資金は何を意味していたのか。貨幣の修復と、所有者や埋蔵の経緯に関する情報の解明は、テュービンゲン大学(エーバーハルト・カール大学)古典考古学研究所の仕事となる。現時点でガイアホス氏は、属州の首都で商売をしていたワインか織物の卸売業者の手元資金ではないかと推測している。長期間をかけて蓄積されたとすれば、それは決して不自然ではない。ローマの貨幣は通常100年、場合によっては200年にもわたって流通し続けたからである。

アウグスブルク市は、2021年12月17日から2022年1月9日までの期間限定の展示会を開催し、これらの豊かな発見物を公開する予定だ。その後、バーチャル見学も実施される可能性がある。ただし確定した話ではない。10年前に旧ローマ博物館が閉館して以来、ドイツ最古級の都市の一つであるこの街には、ローマ遺産を紹介する常設の施設が存在しないままなのである。