その規模において前例のない、二人の正体不明の神々を祀った遺構が、フランス・レンヌ近郊の村での開発工事中に発掘されました。ローマによるガリア侵攻後に活動を始めたこの聖域は、当時のケルト系住民がローマの遺産を自らの文化へと取り込んでいった様子を今に伝える、極めて貴重な存在です。

2022年3月7日から進められているラ・シャペル=デ=フージュレッツ(Ille-et-Vilaine県)の聖域予防発掘調査で見つかった浴場跡の空撮。
40年の待望を経て明らかになった遺跡
広々とした更地。住宅地と遊休工業用地に隣接するこの場所には、数年以内に700戸以上の住宅、主に小規模な集合住宅が建設される予定です。レンヌ中心部から車で約20分の距離にあるシャペル=デ=フージュレッツ村の外れに位置するこの30ヘクタールの市街地拡張事業は、開発を手掛けるジボワール(Giboire)社とロネ(Launay)社にとって決して容易なものではありませんでした。といっても、1984年の航空測量以来、考古学者たちがこの旧農地の地下に大規模な遺構の存在を疑っていたことを、彼らが知らなかったわけではありません。
不動産プロジェクトが正式に確定すると、建設前の地表調査を義務づける予防考古学の制度に基づき、国立予防考古学研究所(Inrap)の考古学者十数名が、40年近く待ち望まれていた発掘調査に着手しました。その待ち時間は十分に報われました。約3.5ヘクタールの範囲から、ローマ征服直後の紀元前1世紀に創建された重要なガロ・ローマ時代の聖域が姿を現したのです。この信仰の場は少なくとも500年間、西暦4世紀まで機能し続けたとみられます。

浴場棟発掘現場の空撮。提供:Emmanuelle Collado/Inrap
前例のない全体像
壁体は失われ、せいぜい厚い石積みの基礎やテラコッタ煉瓦が見える程度と、一見殺風景ですが、この古代の宗教複合施設が例外的である理由は明確です。これまでガロ・ローマ時代の聖域が、これほど広い範囲にわたって全面的に調査された例はなく、稼働期の空間構成をまるごと解明できたのはここが初めてなのです。
「この時代に関する文字資料は一切残っていないため、これは非常に貴重な証言です」と、Inrapでブルターニュ地方の農村考古を専門とする現場考古学者バスティアン・シミエ(Bastien Simier)氏は説明します。「この種の大型公共聖域はローマ支配下のガリアでは決して珍しくありませんが、遺構が完全な形で発掘されたことは一度もなかったのです」

中央に大小二つの神殿が並ぶ聖域全景。提供:Emmanuelle Collado/Inrap
注目すべきは、各辺60メートルの柱廊回廊で区画された神聖な空間だけでなく、その周辺環境まで保存されていた点です。聖域の東側の溝からは複数の住居跡が見つかり、おそらく聖域の維持管理に携わる人々が暮らしていたと考えられます。さらに下方、聖域から数十メートルの場所からは、事前の調査では存在をうかがい知る手がかりが皆無だった浴場棟が現れ、考古学者たちを大いに喜ばせました。
「こうした神聖な文脈の中で住居が見つかるのは、比較的新しい発見です。浴場に至っては、私たちにとっても本当に思いがけないサプライズでした」とシミエ氏は語ります。

聖域の復元イメージ。提供:Inrap
フィギュリン、青銅の杯、そして金貨
当時のレンヌ、コンダテ・リードヌム(Condate Riedonum)から約10キロメートル離れた丘の上に建つこの公共建造物は、遠くからも望むことができ、地域の古代社会において重要な役割を担っていたことを物語っています。ここを訪れていたのは地元のケルト系民族リドネス(Riedones)族の人々です。紀元前52年以降、ローマ勢力がガリアに定着すると、彼らはローマの宗教的・社会的慣習を次第に自らの生活へと溶け込ませていきました。
「大きな行列の後に参詣し、神々を満足させるために供物や犠牲が捧げられたのでしょう。建物前の広場の存在から、誰もが神聖な空間に入れたわけではなく、境内に入っても神殿の前でさらに立ち入りが制限されていたと考えられます」とシミエ氏は推測します。
二棟の神殿は同じ形式――ガリア特有の「ファヌム(fanum)」――で建てられ、神像が安置された中央の部屋「チェラ(cella)」と、信者の祈りや巡礼のための周回回廊で構成されていました。

提供:Emmanuelle Collado/Inrap
残念ながら、どの神々が祀られていたのかは依然として謎です。ただし、隣接する住居から出土したマルスの小型青銅像は、少なくとも一方の神殿がこの神に捧げられた可能性を示唆しています。ローマにおける戦神の武勇のイメージとは異なり、ローマ支配下のガリアでマルスは「より慈悲深く、守護的な存在」として信仰されていました。
出土品の中には、鷲と雷霆が描かれ、ユピテルへの言及がうかがえる青銅の杯もあります。ほかにも、聖域から見つかることが多いフィブラ(衣類留め具)や硬貨などが出土しており、中でも一枚の金貨には、乳にすがる伝説のローマ建国者ロムルスとレムスを伴った牝狼が刻まれていました。「この金貨一枚は、当時の兵士の年収に相当します。つまり、非常に裕福な層の人々がこの聖域を訪れていた証拠なのです」とシミエ氏は指摘します。

提供:Emmanuelle Collado/Inrap
時間との競争
現在のところ、発掘対象地の半分しか調査が終わっていません。「残りの3.5ヘクタールからも、新たな発見がある可能性は十分にあります」と考古学者は期待を寄せます。10月には作業を終えなければならないため、シミエ氏とチームは残された時間との勝負を強いられています。「必ずやり遂げます」と楽観的に語る彼は、コンクリートとアスファルトが永遠に過去の石を覆い隠す前に実施したい作業を次々と挙げます。例えば、聖域の区画部分をさらに深く掘って、ガロ・ローマ時代の建造物以前の建物の痕跡を探すこと。また、井戸をくまなく調査し、当時の日常生活を復元するための情報の宝庫である有機物質を検出することなどです。

聖域から数メートルの住居跡で見つかったマルスの小型像。提供:Emmanuelle Collado/Inrap
「この発掘は、ガロ・ローマ人の生活様式、農村のあり方、そして私たちの土地の風土の起源について、膨大な情報をもたらしてくれるはずです」と考古学者は熱く語ります。とはいえ、発見されたばかりの遺跡がやがて消えてゆく運命については、「予防考古学というものはそういうものです……」と冷静に受け止めています。不動産開発がなければ発掘は行われず、発掘がなければ、このシャペル=デ=フージュレッツの聖域は歴史に記録されることもなかったでしょう。
なお、関心のある方は、文化省の後援のもとInrapが主催するヨーロッパ考古学デー(6月17日~19日)の期間中、現場を無料で見学することができます。