歴史上の人物

ジュール・ミシュレ――民衆の歴史を描いたフランス歴史学の巨匠

ジュール・ミシュレ――民衆の歴史を描いたフランス歴史学の巨匠 ジュール・ミシュレ(Jules Michelet、1798年8月21日~1874年2月9日)は、19世紀フランスを代表する歴史家です。幼少期は貧困と民衆の不満が渦巻く環境の中で過ごしました。父は革命期に印刷業者を営んでいましたが、ナポレオンの登場と王政復古以降、出版の自由が制限されて印刷業者の数は減少し、その多くが困窮に陥りました。少年ミシュレを襲った過酷な日々は、彼の人格を鍛え上げることとなりました。

生い立ちと学問への目覚め

本人の回想によれば、フランス記念物博物館の見学と中世の古典『キリストにならいて』の読書が、歴史研究への道を選ぶ決め手となったといいます。12歳のとき、栄養不良のため小柄でやせ細っていた彼は、リセ・シャルルマーニュに入学しました。学業を修めた後、1821年に同じくシャルルマーニュ校で歴史教師となり、その後サント=バルブ校でも同科目を担当。さらに6年後には、パリの高等師範学校(当時のエコール・プレパラトワール)で哲学・歴史の教授に任命されました。

順調に積み重ねた公職と波乱の人生

名声が高まるにつれて、彼は次々と重要な公職を務めることになります。1830年に国立公文書館歴史部門の責任者、1834年にソルボンヌにおけるギゾーの代理、1837年にコレージュ・ド・フランスの歴史・道徳講座教授、そして1838年には道徳・政治アカデミーの会員に選ばれました。

しかしその後の歩みは決して平坦ではありませんでした。1848年の革命が勃発する直前に教職を追われるものの、第二共和政の樹立後に復職します。ところがルイ・ナポレオン・ボナパルトが権力を握ると、今度は第二帝政に敵対的な立場を取ったとして再び職を解かれてしまいました。ミシュレは1874年2月9日、南仏イエールでその生涯を閉じました。

膨大な著作活動

ミシュレの著作はきわめて広範囲に及びます。1831年に出版された初期の代表作は『ローマ共和国史』と『普遍史序説』です。後者はイタリアの思想家ジャンバッティスタ・ヴィーコの影響を受けており、歴史哲学とギゾー流の文明史の間を揺れ動きながらも、常にフランスをヨーロッパの中心に据えている点が特徴です。

『フランス史』全24巻

ほどなくして、彼は生涯最大の事業の一つとなる『フランス史』に着手します。全24巻からなるこの大著は、1830年から1867年にかけて執筆されましたが、その制作過程はやや混沌としたものでした。固定した計画に縛られず、自分が心を惹かれた時代や場面を選んで書き進めたのです。

最初の6巻はガリア時代の始まりからルイ11世の治世までを扱い、1830年から1847年にかけて刊行されました。その後、彼はより大きな名声をもたらす『フランス革命史』の執筆に専念するため筆を置きますが、1855年にようやく『フランス史』の執筆を再開しました。晩年には19世紀を扱う最終巻の構想を練りますが、完成を見ることなく世を去っています。

なかでも第2巻に収められた「フランス風景論(Tableaux de France)」は名高い章です。ここでミシュレはフランス各地の地方を描写し、住民の気質の違いが地形や気候といった自然地理的条件に強く規定されていることを説きました。

晩年の作品群は、自然主義と科学主義が融合した独特の世界を展開しています。『海』『虫』『山』といった著作はきわめて叙情的で、一種の汎神論へと接近していく様子がうかがえます。

『フランス革命史』――民衆こそが主人公

ジュール・ミシュレ――民衆の歴史を描いたフランス歴史学の巨匠『フランス革命史』には、ミシュレの歴史観が凝縮されています。彼にとって革命とは、フランス人民によって遂行されたものでした。人民こそが無名の英雄であり、一見ばらばらに見えながらも、共通の感情と本能的な霊感によって結束して前進する偉大な大衆なのです。

革命期に名を馳せた政治家や演説家たちは、その演説を通じて大衆の思想を代弁する存在にすぎません。真の主人公は民衆であり、彼の作品はまさに民衆に捧げられています。民衆の行動を描き出す唯一の方法は、民衆精神の深層における変容を研究することだと考えたミシュレは、群衆の生活や、出来事の圧力のもとで彼らが経験する変化を丹念に観察し、いわば「革命の心理学」と呼べるものを描き出しました。

トクヴィルやランケとは異なる歴史観

この歴史観は、事実を最優先したトクヴィルやドイツの歴史家ランケの立場と鋭く対照的です。ミシュレは個別の事実を背景に退け、むしろ激動の歳月における群衆の叫び、動き、精神と想像力の沸騰を描写しようとしました。人物を描く際にも、まずその人物を取り巻く環境や周囲からの影響に深く没入します。彼が実際に書いたのは、歴史現象の「内面」の歴史だったのです。原因そのものよりも、民衆の感情から生まれる集合的なアイデンティティこそが重要だと彼は考えました。

主観と客観のはざまで

ミシュレの仕事は強い主観に彩られているように見えるかもしれません(実際、そうなることもあります)。しかし、その根拠となる史料の蓄積は膨大です。彼は中央公文書館や県庁・市町村の文書庫に眠る資料を本格的に活用した最初の歴史家であり、客観性への志向は否定できません。

『フランス史』ではある程度まで叙述の中立性を保つことに成功していますが、『フランス革命史』では冷静さを失い、評価や批判、個人的な意見が作品全体にあふれ出します。作品の目的に即した彼の文体は、時に小説を思わせます。歴史家の仕事と、読者を魅了する文章の芸術を融合させたのです。そのために類推、生気論的な比喩、擬人法的表現といった多彩な修辞技法を駆使しました。