歴史上の人物

黄道婆――中国紡織業の礎を築いた伝説の織工・発明家

黄道婆(こうどうば、1240年または1245年~1330年)は、中国における半ば伝説的な発明家です。機織りや糸紡ぎの技術を開発・改良し、広く普及させたことで知られ、中国紡織産業の基礎を築いた人物として名を残しています。

童養婦としての日々

黄道婆――中国紡織業の礎を築いた伝説の織工・発明家

黄道婆の生涯について残されている記録はごくわずかです。彼女は元代、1240年から1245年の間に、上海の松江地区にある貧しい家庭に生まれました。10歳頃になると、地元の家庭に嫁がされ、「童養婦(とうようふ)」と呼ばれる幼い花嫁となります。当時の慣習では、嫁ぎ先の夫の両親のもとに住み、将来自立できるよう、姑が家事を一から仕込んで教育するのが通例でした。

しかし、義理の両親のもとでの暮らしは過酷を極めました。押し付けられる山のような家事に加え、虐待や冷遇を受け続けた黄道婆は、ついに家を逃げ出すことを決意します。屋根の茅葺きを破って外へ抜け出すと、黄浦江に沿って進み、中国最南端・海南島の崖州(現在の三亜)へ向かう船に乗り込んだのです。

織工・紡績家への道

海南島で黄道婆を温かく迎えたのは、先住民族であるリー族の人々でした。彼らと共に暮らす中で、リー族文化の核をなす機織りと紡績の技術を学びます。ちなみに、リー族の伝統的な紡織技術は、ユネスコの無形文化遺産リストのうち「緊急に保護する必要がある一覧」に登録されています。働き者の少女だった黄道婆は綿花の栽培法も習得し、約30年間海南島にとどまって、知識・技能・技術の研鑽に励みました。

その後、故郷の上海へ戻った黄道婆は、海南で学んだ機織り・紡績の技術を現地の在来手法と融合させながら、地域の女性たちへ伝授していきます。技術の伝承にとどまらず、作業の負担を減らし効率を高めるため、紡織機械の設計にも取り組みました。特筆すべきは、綿の種子と繊維を分離する「攪車(こうしゃ)」と呼ばれる綿繰り機、そして足踏みペダルで車輪を回し、3本の糸巻きを同時に操作できる紡車(糸紡ぎ車)の発明です。これらの道具と自らの熟練技術を駆使して、衣類や寝具、上質な絹織物などを次々と生み出し、新しく考案した柄や模様は大きな評判を博しました。

「黄婆婆」と呼ばれて

黄道婆は1330年に亡くなりましたが、その遺産は今も色褪せることがありません。彼女の機織りの技術や道具は次第に中国全土へ広まり、松江の紡織産業を大きく繁栄させました。この地域は機織りと紡績の重要な中心地へと発展し、そこで確立された基盤こそが、中国紡織産業の土台となったのです。

後世には数多くの顕彰が捧げられています。上海植物園のそばには彼女を偲ぶ記念館が建てられ、金星のクレーターの一つには彼女の名前が付けられました。さらに、その生涯を描いた中国のテレビドラマ『天涯織女』(2010年)が制作され、民謡の中でも彼女は歌い継がれています。「黄婆婆、黄婆婆、私に紡ぐことを教えて、織ることを教えて、二つの糸巻きと二反の布で……」――そんな歌詞の歌が、今なお人々に親しまれているのです。